歌のよしあしをも知らむことは、ことのほかのためしなめり。四条大納言に、子の中納言の、
「式部と赤染と、いづれかまされるぞ。」
と尋ね申されければ、
「一口に言ふべき歌よみにあらず。式部は、『ひまこそなけれ 葦の八重ぶき』とよめる者なり。いとやむごとなき歌よみなり。」
とありければ、中納言はあやしげに思ひて、
「式部が歌をば、『はるかに照らせ 山の端の月』と申す歌をこそ、よき歌とは世の人の申すめれ。」
と申されければ、
「それぞ、人のえ知らぬことを言ふよ。『暗きより 暗き道にぞ』といへる句は、法華経の文にはあらずや。されば、いかに思ひよりけむともおぼえず。末の『はるかに照らせ』といへる句は本にひかされて、やすくよまれにけむ。『こやとも人を』といひて、『ひまこそなけれ』といへる言葉は、凡夫の思ひよるべきにあらず。いみじきことなり。」
とぞ申されける。
歌のよしあしを見分けるようなことは、特別に難しい試みであるようだ。四条中納言に、子の中納言が、
「和泉式部と赤染衛門では、どちらが優れていますか。」
と尋ね申し上げなさると、
「一言でどちらが良いといえる歌詠みではない。和泉式部は『津の国の こやとも人を 言ふべきに ひまこそなけれ 葦の八重葺き』と詠んだ人である。とても素晴らしい歌詠みである。」
と言ったので、中納言は(世の人が良いという歌とは違う歌を挙げたのを)不思議に思って、
「和泉式部の歌の、『暗きより 暗き道にぞ 入りぬべき はるかに照らせ 山の端の月』と読み申した歌を、良い歌だと世の人は申すようですが。」
と申しなさると、
「それこそ、人が知ることが出来ないことを言うよ。上の句の『暗きより 暗き道にぞ』という句は、法華経の文章ではないか。そうならば、どうやってこの表現を思いついたのだろうかとは思わない。下の句の『はるかに照らせ』という句は、上の句から連想して簡単に詠むことができただろう。(いっぽう、『津の国のに〜』の、)『こやとも人を』といってから、『ひまこそなけれ』という言葉は、凡人が思いつくことが出来るものではない。すばらしいことだ。」
と申し上げなさった。
津の国の こやとも人を いふべきに
ひまこそなけれ 葦の八重ぶき
こや
・昆陽 ← 枕詞 津の国
・来や
・小屋 ← 縁語 葦の八重ぶき
ひま
・暇
・隙 ← 縁語 葦の八重ぶき
津の国の昆陽ではないが、あなたに来てくださいと言いたいが、暇がなくて言うことが出来ない。
小屋の八重葺きの屋根に隙間がないように。
暗きより 暗き道にぞ 入りぬべき
はるかに照らせ 山の端の月
暗さ(煩悩)から、暗い道(仏教に外れた道)に入ってしまいそうだ。
はるか遠くまで照らしておくれ、山の端の月(仏教の真理)よ。
『暗きより〜』の句は、あくまでも法華経の文章をもとにしたものであって、「どうやってこの表現が思いついたのか」と感心することはない。
『津の国の〜』の句のほうが、凡人が思いつくようなものではなく、素晴らしい。