二階の窓から

『戦国策』より
くちびるほろびて歯寒し

劉向りゅうきょう

白文 現代語訳 ノート
状況
豆知識

 春秋戦国時代末期(紀元前5世紀ごろ)の国の一つ、は、事実上 范氏・智氏・中行氏・趙氏・韓氏・魏氏の六氏に分かれていた。范氏、中行氏を除く四氏のうち智氏が最も強大あった。

 紀元前453年、智氏(智伯)は韓・魏と手を結び趙に攻め入り、趙は絶体絶命となるのだが……

唇亡びて歯寒し(春秋戦国時代)図解

白文

 張孟談於是陰見韓魏之君曰、
「臣聞、唇亡歯寒。今智伯帥二国之君伐趙、趙将亡矣。亡則二君為之次矣。」
二君曰、
「我知其然。夫智伯之為人、麤中而少親。我謀未遂而知、則其禍必至。為之奈何。」
張孟談曰、
「謀出二君之口、入臣之耳。人莫之知也。」
二君即与張孟談陰約三軍、与之期日、夜遣入晋陽。張孟談報襄子。襄子再拝之。

 張孟談因朝智伯而出、遇智過轅門之外。智過入見智伯曰、
「二主殆将有変。」
君曰、
「如何。」
対曰、
「臣遇張孟談於轅門外。其志矜、其行高。」
智伯曰、
「不然。吾与二主約謹矣。破趙三分其地。寡人所親之。必不欺也。子釈之。勿出於口。」

 智過出見二主。入説智伯曰、
「二主色動而意変。必背君。不如令殺之。」
智伯曰、
「兵著晋陽三年矣。旦暮当技而饗其利。乃有他心不可。子慎勿復言。」
智過曰、
「不殺、則遂親之。」
智伯曰、
「親之奈何。」
智過曰、
「魏宣子之謀臣曰趙葭、韓康子之謀臣曰段規。是皆能移其君之計。君其与二君約。破趙、則封二子者各万家県一。如是、則二主之心可不変、而君得其所欲矣。」
智伯曰、
「破趙而三分其地、又封二子者各万家之県一、則吾所得者少。不可。」
智過見君不明、言之不聴也、出更其姓為輔氏、遂去不見。

 張孟談聞之、入見襄子曰、
「臣遇智過於轅門之外。其視有疑臣之心。入見智伯、出更其姓。今暮不撃、必後之矣。」
襄子曰、
「諾。」
使張孟談見韓魏之君曰、
「夜期。」
殺守堤之吏、而決水灌智伯軍。智伯軍救水而乱。韓魏翼而撃之、襄子将卒犯其前、大敗智伯軍、而禽智伯。

智伯身死、国亡地分、為天下笑。此貪欲無厭也。夫不聴智過、亦所以亡也。智氏尽滅、惟輔氏存焉。


書き下し文

 張孟談是に於いてひそかに韓・魏の君にまみえて曰はく、
「臣聞く、唇亡びば則ち歯寒しと。今智伯二国の君をひきゐて趙を伐ち、趙まさに亡びんとす。亡びば則ち二君之が次と為らん。」と。
二君曰はく、
「我其の然るを知る。の智伯の人と為り、麤中そちゅうにして親しみ少なし。我が謀未だ遂げずして知らば、則ち其の禍必ず至らん。之を為すこと奈何いかん。」と。
張孟談曰はく、
「謀二君の口より出でて、臣の耳に入る。人之を知るきなり。」と。
二君即ち張孟談と陰かに三軍を約し、之と日を期し、夜晋陽に入らしむ。張孟談以て襄子に報ず。襄子之を再拝す。

 張孟談因りて智伯に朝して出で、智過に轅門の外に遇ふ。智過入りて智伯に見えて曰はく、
「二主殆ど将に変有らんとす。」と。
君曰はく、
「如何。」と。
対へて曰はく、
「臣張孟談に轅門の外に遇ふ。其の志ほこり、其の行くこと高し。」と。
智伯曰はく、
「然らず。吾と二主と約すること謹なり。趙を破りて其の地を三分せんとす。寡人之と親しくする所なり。必ず欺かざるなり。子之を釈け。口より出だすこと勿かれ。」と。

 智過出でて二主に見ゆ。入りて智伯に説きて曰はく、
「二主色動きて意変ず。必ず君に背かん。之を殺さしむるに如かず。」と。
智伯曰はく、
「兵晋陽に著くこと三年なり。旦暮当に抜きて其の利を饗くべし。乃ち他心有るは不可なり。子謹んで復た言ふこと勿かれ。」と。
智過曰はく、
「殺さずんば、則ち遂に之と親しめ。」と。
智伯曰はく、
「之と親しむに奈何せん。」と。
智過曰はく、
「魏宣子の謀臣は趙葭と曰ひ、韓康子の謀臣は段規と曰ふ。是れ皆能く其の君の計を移す。君其れ二君と約せよ。趙を破らば、則はち二子の者をおのおの万家の県一けんいつに封ぜんと。是くの如くせば、則ち二主の心変ぜざるべく、而うして君其の欲するところを得ん。」と。
智伯曰はく、
「趙を破して其の地を三分し、又二子の者を各万家の県一に封ぜば、則ち吾が得るところの者少なし。不可なり。」と。
智過君の明ならず、言の聴かざるを見るや、出でて、其の姓を変えて輔氏となり、遂に去りて見えず。

 張孟談之を聞き、入りて襄子に見えて曰はく、
「臣智過に轅門の外に遇ふ。其の視るや臣を疑ふの心有り。入りて智伯に見え、出でて其の姓を更ふ。今暮撃たずんば、必ず之に後れん。」と。
襄子曰はく、
「諾。」と。
張孟談をして韓・魏の君に見えしめて曰はく、
「夜期せん。」と。
 堤を守るの吏を殺して水を決して智伯の軍に灌ぐ。智伯の軍水を救ひて乱る。韓・魏さしはさんで之を撃ち、襄子の将卒其の前を犯し、大いに智伯の軍を敗りて、智伯をとりこにす。

 智伯身死し、国亡び地分かたれて、天下の笑ひと為る。此れ貪欲にして厭く無ければなり。夫れ智過に聞かざるも、亦亡びし所以なり。智氏尽く滅び、惟だ輔氏のみ存せり。


現代語訳

 趙の張孟談はこっそりと韓・魏の二人の王に密会して言った。
「唇がなくなると、そのときは歯が寒くなると聞くではないか。今、智伯が韓・魏を率いてわれわれ趙を攻撃し、趙は今にも滅びそうだ。趙が滅びてしまったら、そのときは韓と魏が次なる標的となるであろう。」と。
二人の王は言った。
「そうであることは知っている。あの智伯の性格は粗暴で、親しみやすいところもあまりない。(我々が智氏を裏切って趙と同盟を組むという)計画が上手くいかずにばれてしまったら、きっと禍が起こるだろう。どうしたらよいものだろうか。」と。
張孟談は言った。
「陰謀はお二人の口から漏れて、私の耳に入った。この計画を知る人はまだいない。」と。
二人の王はすぐに張孟談と密かに三軍で智伯を攻撃することを約束し、日時を決めて夜晋陽に入らせた。そこで張孟談は(君主である)襄子に知らせた。襄子は張孟談に丁寧にお辞儀をした。

 張孟談はそこで智伯のところへお目にかかって出て行き、智過に軍門の外で会った。智過は中に入って智伯に言った。
「二人の王は殆ど今にも心変わりを起こそうとしていますぞ。」と。
智伯は、
「どういうことだ。」と言った。
智過は応えて言った。
「私は張孟談と軍門の外で会いました。意気揚々としていて、胸を張って歩いておりました。」
智伯は言った。
「そんなことはない。私は二人の王と固く約束したのだ。趙を倒して、其の土地を三分割しようとしている。私はこの二人の王と約束をしている。絶対に裏切らない。お前はそんな考えを捨てなさい。口に出してはならない。」と。

 智過は出て行き、今度は二人の王と会見した。戻ってきて智伯に説得して言った。
「二人の王は顔色を変え、気持ちが変わっている。きっと裏切るでしょう。二人の王を殺させた方がよい。」と。
智伯は言った。
「軍隊が晋陽について三年になる。あとわずかできっと趙を伐って利益を得られるのだ。だから心変わりはあり得ない。お前は言葉を慎んで二度とそんなことを言うな。」と。
智過は言った。
「殺さないならば、もっと仲良くしてください。」と。
智伯は言った。
「どうすればいいんだ。」と。
智過は言った。
「魏の宣子の謀臣は趙葭といい、韓の康氏の謀臣は段規といいます。彼らは自分の君主の計画を変えることが出来る人物です。我が君よ、二人の王と約束をしてください。趙を破ったならば、趙葭と段規の二人にそれぞれ戸数一万の県を与えようと。こうすれば、韓と魏の心変わりを防ぐことができ、王が欲しい土地を得ることが出来ましょう。」と。
智伯は言った。
「趙を破ってその土地を三分割したうえに、さらに二人の謀臣に戸数一万の県を与えたら、私の取り分が少なくなってしまうではないか。だめだ。」と。
 智過は自分の君主が馬鹿で、言うことを聞いてくれないのをみて、出て行って姓を変えて輔氏となって、そのまま戻らなかった。

 張孟談はこの話を聞き、襄子に謁見してこう言った。
「私は智過に軍門の外で会いました。智過の目を見ると、私を疑う心があります。智過は(軍門の中に)入っていき智伯にお会いしたあと、出て行って姓を変えました。今すぐ智を攻撃しなければ、きっと手遅れになってしまうでしょう。」と。
襄子は言った。
「わかった。」と。
張孟談に韓・魏の王に会わせて言わせた。
「夜に決行しよう。」と。
 堤を守る兵を殺し、水を決壊させて智伯の軍に注いだ。智伯の軍は水を防ぐのに気を取られて混乱に陥った。韓と魏はこれを挟み撃ちにし、襄子の将軍は前から突入し、智伯の軍に大勝し、智伯を捕らえた。

 智伯は死に、国は滅びて領土は趙・韓・魏に分割され、世の笑いものとなった。これは智伯が欲張りで満足をしなかったからだ。そもそも智過の進言を聞かなかったのも、また滅んだ理由だ。智氏は完全に滅び、輔氏のみが生き残った。


出典

『戦国策』(巻十八より)
紀元前一世紀中頃、劉向の作。


ノート

唇亡歯寒とは

唇=趙、歯=韓・魏
今攻めている趙(唇)が滅びれば、次は韓・魏(歯)に智の矛先が向くということ。

唇亡びて歯寒し(春秋戦国時代)図解

智と趙の運命を分けたもの

智過(智)と張孟談(趙)はいずれも先を見通す鋭い洞察力があった。
しかし、
智の智伯は欲張って臣下の話を聞かず、滅びた。
趙の襄子は臣下の助言を素直に聞き入れ、大勝した。

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文庫: 384ページ
出版社: 講談社
言語: 日本語
ISBN-10: 4061597094
ISBN-13: 978-4061597099
発売日: 2005/5/11

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