二階の窓から

百人一首 056 あらざらむ


あらざらむ 此のよの外の 思出に
今ひとたびの あふ事もがな

和泉式部いづみしきぶ

品詞分解

 
あら ざら
助動 助動
ラ変
(未然形)
打消
(未然形)
推量
(連体形)
ほか
格助 格助 格助
あの世。来世。
おもひで
思出
格助
 
いま ひとたび
一度
格助
さらに。もう。
あ   こと
逢ふ もがな
終助
ハ四
(連体形)
願望

現代語訳

(私がもうすぐ)いなくなるだろう
この世の外(=あの世)への
思い出として、
もう一度
あなたに会うことができればなあ。

作品の解説

出典『後拾遺集』恋3・763

詞書には「ここちれいならず侍りけるころ、人のもとにつかはしける」とある。
和泉式部の病気が重くなり、気分がすぐれないときに、病床から思い人に対して贈った歌。
誰に対して贈ったのかは特定できないが、死を予感しながら最後に会いたいという気持ちを詠み上げた、哀しい歌だ。

ちなみにこの歌から7首連続で女流歌人の歌が連続する。
(和泉式部→紫式部→大弐三位→赤染衛門→小式部内侍→伊勢大輔→清少納言)
そうそうたる顔ぶれの中で、和泉式部が最初に据えられていることから、定家が和泉式部とこの歌を高く評価していたことが窺える。

作者

和泉式部いづみしきぶ(978? - 没年未詳)

大江雅致おおえのまさむねの娘。 和泉守 橘道貞たちばなのみちさだと結婚して小式部内侍を生んだ。
道貞との結婚が破綻した後は 為尊親王、敦道親王と熱愛。 いずれも身分違いの恋として物議を醸した。
この頃の様子は『和泉式部日記』の☞夢よりもはかなき世の中を参照。

敦道親王の死後、中宮彰子に出仕。 1013年頃、藤原保昌と再婚して丹後へと下った。
(このときに娘の小式部内侍が詠んだのが「☞大江山 いく野の道の〜」)

何度も恋愛や結婚を繰り返していて、多感奔放な女性というイメージを持たれていた。
恋の歌を得意としていたが、仏教への傾倒が窺われる歌もある。(☞『俊頼髄脳』 歌のよしあし
勅撰集には242首入集している超有力女流歌人だ。

百人一首 (角川ソフィア文庫)
→Amazon.co.jpで購入

島津 忠夫 (翻訳)
文庫: 317ページ
出版社: 角川書店; 新版 (1999/11)
言語: 日本語
商品パッケージの寸法: 15 x 10.6 x 1.4 cm
←前
055 たきのいとは
次→
057 めぐりあひて
二階の窓から > 古典ノート > 品詞分解 百人一首 > 056 あらざらむ