あらざらむ 此のよの外の 思出に
今ひとたびの あふ事もがな
あら | ざら | む |
動 | 助動 | 助動 |
ラ変 (未然形) |
打消 (未然形) |
推量 (連体形) |
こ | よ | ほか | |||
此 | の | 世 | の | 外 | の |
名 | 格助 | 名 | 格助 | 名 | 格助 |
あの世。来世。 |
おもひで | |
思出 | に |
名 | 格助 |
いま | ひとたび | |
今 | 一度 | の |
副 | 名 | 格助 |
さらに。もう。 |
あ | こと | |
逢ふ | 事 | もがな |
動 | 名 | 終助 |
ハ四 (連体形) |
願望 |
(私がもうすぐ)いなくなるだろう
この世の外(=あの世)への
思い出として、
もう一度
あなたに会うことができればなあ。
出典『後拾遺集』恋3・763
詞書には「ここちれいならず侍りけるころ、人のもとにつかはしける」とある。
和泉式部の病気が重くなり、気分がすぐれないときに、病床から思い人に対して贈った歌。
誰に対して贈ったのかは特定できないが、死を予感しながら最後に会いたいという気持ちを詠み上げた、哀しい歌だ。
ちなみにこの歌から7首連続で女流歌人の歌が連続する。
(和泉式部→紫式部→大弐三位→赤染衛門→小式部内侍→伊勢大輔→清少納言)
そうそうたる顔ぶれの中で、和泉式部が最初に据えられていることから、定家が和泉式部とこの歌を高く評価していたことが窺える。
和泉式部(978? - 没年未詳)
大江雅致の娘。 和泉守 橘道貞と結婚して小式部内侍を生んだ。
道貞との結婚が破綻した後は 為尊親王、敦道親王と熱愛。 いずれも身分違いの恋として物議を醸した。
この頃の様子は『和泉式部日記』の☞夢よりもはかなき世の中を参照。
敦道親王の死後、中宮彰子に出仕。 1013年頃、藤原保昌と再婚して丹後へと下った。
(このときに娘の小式部内侍が詠んだのが「☞大江山 いく野の道の〜」)
何度も恋愛や結婚を繰り返していて、多感奔放な女性というイメージを持たれていた。
恋の歌を得意としていたが、仏教への傾倒が窺われる歌もある。(☞『俊頼髄脳』 歌のよしあし)
勅撰集には242首入集している超有力女流歌人だ。