めぐり逢ひて 見しやそれ共 分かぬまに
雲がくれにし 夜半の月影
あ | ||
めぐり | 逢ひ | て |
動 | 動 | 接助 |
ラ四 (連用形) |
ハ四 (連用形) |
み | |||||
見 | し | や | それ | と | も |
動 | 助動 | 係助 | 代名 | 格助 | 係助 |
マ上一 (連用形) |
過去 (連体形) |
疑問 ※結びは省略 |
わ | ま | ||
分か | ぬ | 間 | に |
動 | 助動 | 名 | 格助 |
カ四 (未然形) |
打消 (連体形) |
くも | ||
雲がくれ | に | し |
動 | 助動 | 助動 |
ラ下二 (連用形) |
完了 (連用形) |
過去 (連体形) |
よは | つき | ||
夜半 | の | 月 | かな |
名 | 格助 | 名 | 終助 |
詠嘆 |
(久しぶりに幼友達に)巡り会って
見たのがその人かどうか
見分けがつかない間に
雲隠れしてしまった
夜半の月(のように、あなたは姿を消してしまったこと)だなあ。
出典『新古今集』雑上・1499
文字面だけを追うと一体何の歌だか分からないので、現代語訳には詞書を見て状況を補った。
詞書によると
はやくより童友だちに侍りけるひとの、としごろへてゆきあひたる、ほのかにて、七月十日のころ、月にきほひてかへり侍りければ
<現代語訳>
昔からの幼友達に久しぶりに会ったが、ちょっと会っただけで、月と競うように慌ただしく帰ってしまったので
という状況で詠まれた歌だ。
つまり、幼なじみと会えたのだが、夜半の月のようにすぐに帰ってしまった名残惜しさを詠っている。
紫式部(970? - 没年未詳)
越後守藤原為時の娘。次の58番歌の作者である大弐三位の母。
紫式部は、もともと歌人としてはあまり有名では無かった。
勅撰集では、『後拾遺集』には3首のみ入撰(和泉式部67首、相模40首、赤染衛門31首などと比較すると、圧倒的に少ない)。『金葉集』『詞花集』ではなんと1首も選ばれていなかった。
平安時代においては、こんな有様だったのである。
ところが、1192年(鎌倉時代の始め)に行われた六百番歌合で判者の藤原俊成が「源氏見ざる歌詠みは遺恨の事なり」と判詞で述べたことで、歌人の間で一気に『源氏物語』と紫式部に注目が集まった。
この後、勅撰集には『千載集』9首、『新古今集』14首と急激に入集するようになった。
この歌の四句には「雲隠れにし」とあるが、『源氏物語』41番目の雲隠巻が想起されたことであろう。
ちなみにこの雲隠巻は巻名だけが伝えられており、本文が残っていないという特殊な巻だ。なぜこうなったかについては、
・そもそも書かれなかった
・光源氏の死が書かれていたため、喪失感から出家する者が相次ぎ、焚書の憂き目に遭った
などなど色々な伝承がある。