孫子荊、年少時欲隠。
語王武子、当枕石漱流、誤曰、
「漱石枕流。」
王曰、
「流可枕、石可漱乎。」
孫曰、
「所以枕流、欲洗其耳。所以漱石、欲礪其歯。」
孫子荊年少き時、隠れんと欲す。
王武子に語るに、当に石に枕し流れに漱がんといふべきに、誤りて曰はく、
「石に漱ぎ流れに枕せん。」
と。
王曰はく、
「流れは枕すべく、石は漱ぐべきか。」
と。
孫曰はく、
「流れに枕する所以は、其の耳を洗はんと欲すればなり。石に漱ぐ所以は、其の歯を礪かんと欲すればなり。」
と。
孫子荊が若いとき、俗世を離れた隠遁生活をしようと思った。
友人の王武子に(そのことを)話すときに、本来なら「石に枕し、流れに口をすすごう。」と言うべきところ、間違って言うことには、
「僕は、石に口をすすぎ、流れに枕しようと思っているんだ。」
と。
王が(おかしいと思って)言うことには、
「あれ?流れに枕することができるのかい。石で口をすすぐことができるのかい。」
と。
孫が(間違いを認めずに)言うことには、
「流れに枕する理由は、(俗事から)耳を綺麗に清めるためだ。石で口をすすぐ理由は、歯を磨くためだ。」
と。
『世説新語』より。
444年頃、劉義慶の作。
後漢から東晋までの著名人の逸話を集めて編纂した寓話集。
書き下すと、「石に枕し流れに漱ぐ」。
そのあたりの石を枕にして眠り、起きたら川の水で口をすすぐ生活。
山にこもって自由気ままに暮らすこと。
孫子荊はこれを逆にして『漱石枕流』と言ってしまった。
友人の王武子に指摘されても、上手いことこじつけて誤りを認めなかった。
→ このことから、『漱石枕流』は屁理屈を並べて言い逃れるという意味を持った四字熟語になった。