伯牙鼓琴、鍾子期聴之。方鼓琴而志在太山。
鍾子期曰、
「善哉乎鼓琴、巍巍乎若太山。」
少選之間、而志在流水。
鍾子期又曰、
「善哉乎鼓琴、湯湯乎若流水。」
鍾子期死。
伯牙破琴絶絃、終身不復鼓琴。
伯牙琴を鼓し、鍾子期之を聴く。琴を鼓するに方たりて志太山に在り。
鍾子期曰はく、
「善きかな琴を鼓する、巍巍乎として太山のごとし。」
と。少選の間にして志流水に在り。
鍾子期又曰はく、
「善きかな琴を鼓する、湯湯乎として流水のごとし。」
と。鍾子期死す。
伯牙琴を破り絃を絶ち、終身復た琴を鼓せず。
伯牙が琴を弾き、鍾子期がこれを聴いた。(伯牙は)琴を演奏するときに、太山(泰山)のことを想っていた。
鍾子期が言うことには、
「素晴らしいなあ、琴を演奏することに、高くそびえ立つような感じで太山のような音色だ。」
と。そのすぐ後に、(伯牙は)河を想っていた。
また鍾子期が言うことには、
「素晴らしいなあ、琴を演奏することに、水が盛んに流れるような感じで河のような音色だ。」
と。そして鍾子期が亡くなった。
伯牙は琴を壊して弦を切り、生涯二度と琴を弾かなかった。
『呂氏春秋』
中国の春秋戦国時代末期、紀元前239年に成立した論説集。
秦の政治家・呂不韋が食客に編纂させた。
呂不韋はこの書物の出来に大満足しており、「一字でも添削できた者には千金を与えよう」と語ったという。
このことから「一字千金」という四字熟語が生まれた。
自分の琴の音色を完全に理解してくれる聴き手・鍾子期がいなくなってしまったから。
このことから、「知音」は、心の底から理解し合える友人を意味する故事成語となった。