およそ
「能登殿、いたう罪なつくりたまひそ。さりとてよき
とのたまひければ、
「さては
と心得て、打ち物
今はかうと思はれければ、太刀・長刀海へ投げ入れ、
「我と思はん者どもは、寄つて教経に組んで生け捕りにせよ。鎌倉へ下つて、
とのたまへども、寄る者
ここに、土佐の国の住人、
「いかに
とて、
「えい。」
と言ひて乗り移り、甲の
「いざうれ、さらばおのれら、
とて、
新中納言、
「見るべきほどのことは見つ。今は自害せん。」
とて、
「いかに、約束は
とのたまへば、
「子細にや及び候ふ。」
と中納言に鎧二領着せたてまつり、我が身も鎧二領着て、手を取り組んで海へぞ入りにける。これを見て、
およそ
「能登殿、むやみに(殺生をして)罪をお作りなさってはならない。そうだからといって、好敵手というわけではないでしょうに。」
とおっしゃったので、(教経は)
「それでは大将軍に組討てということだな。」
と理解して、刀の柄を短くとって、源氏の船に乗り移っては乗り移り、わめき叫んで攻め戦う。
(教経は)判官(=源義経)の顔を見知っていらっしゃらないので、鎧兜の立派な武士が判官ではないかと目をつけて、あちこち駆け回る。判官のほうも既に(教経が自分を捜し回っていると)知っていて、(教経の)前に立とうとはしたけれども、あちこちと行き違って、能登殿とは組み合いなさらない。けれどもどうしたことだろうか、(教経が)判官の船に乗り当たって、あれだと思って(判官を)目がけて飛びかかると、判官は敵わないとお思いになったのだろうか、長刀を脇に挟み、味方の船で2尺(=約6メートル)ほど離れた船に、ゆらりと飛び乗りなさった。能登殿は、(判官に)早業ではお劣りになったのだろうか、すぐに続いてもお飛びにならない。
(教経は、好機を逃してしまい)今はもはや最期だとお思いになったので、太刀や長刀を海に投げ入れ、兜も脱いでお捨てになってしまった。鎧の草摺をかなぐり捨て、胴だけを着て、髪をばらばらにして、大手を広げてお立ちになった。およそ周囲を圧倒して見えたのだった。恐ろしいなんて言葉では言い尽くせない。能登殿は、大声を上げて、
「我こそはと思う者どもは、近寄ってこの教経に組み討ちして生け捕りにしろ。鎌倉に下って、源頼朝に会って、一言言ってやろうと思うぞ。さあ寄ってこい寄ってこい。」
とおっしゃるけれども、近寄る者は一人もいなかった。
そこに、土佐の国の住人で、安芸郷を支配していた安芸の長官
「どれほど猛々しくいらっしゃっても、我ら3人がとりついたならば、たとえ身長が10丈(=約30メートル)の鬼だとしても、どうして降伏させられないことがあろうか(いや、降伏させる)。」
といって、主従3人が小船に乗って、能登殿の船につけて、
「えい。」
と言って乗り移り、兜の錣を傾け、太刀を抜いて、一緒に打ってかかる。能登殿は少しも慌てなさらず、一番先に進んでいた安芸太郎の家来を、足をぶつけて蹴り、海へどっと蹴り入れなさる。続いて寄ってくる安芸太郎と、左手の脇に挟み込み、弟の次郎を右手の脇に挟み、ひと締め締め付けて、
「さあ来い、それではお前たち、冥土の山へのお供をしろ。」
といって、(教経は)齢26歳で、海へさっと飛び込みなさった。
新中納言(知盛)が、
「見届けなければならないことは見終わった。今はもう自害しよう。」
と言って、乳母子である
「どうだ、(生死を共にするという)約束は破らないつもりか。」
とおっしゃるので、(家長は)
「細かいことに言及するまでもございません。」
と申し上げて中納言に鎧を2領着せ申し上げて、自分自身も鎧を2領来て、(中納言知盛と)手を取り合って海に入ってしまった。これを見て、侍たち二十余人が、遅れ申し上げまいと、手に手を取り組んで、同じ所に沈んだ。その中に、越中次郎兵衛、上総五郎兵衛、悪七兵衛、飛騨四郎兵衛の4名は、どのようにして逃げたのだろうか、そこをもまた逃げ延びてしまった。
海上には平氏の赤旗や赤印が投げ捨てて、乱雑に捨てられているので、竜田川の紅葉の葉を嵐が吹き散らしたかのようだ。水際に打ち寄せる白波も、(血で)薄紅色になってしまった。乗り手もいなくて空っぽの船は、潮に流され、風に従って、どこともなく揺られてゆくのがなんとも悲しいことだ。
作者は不詳。『徒然草』には
鎌倉時代前半、1230年前後の成立と考えられている。
滅び行く平家一門の運命を描く軍記物語。無常観を主題としている。
琵琶法師によって琵琶を弾きながら語られた。
竜田川は、奈良県を流れる川で紅葉の名所。古くから和歌にも詠まれている。
さて、平家物語では敗れた平家の赤い旗・印が海上に浮かんでいる様子を、平安時代全盛期の和歌に登場する、竜田川の紅葉の美しい光景に例えて表現したというわけだ。
さらに、在原業平の和歌では川の紅葉を韓紅(濃く美しい赤)と表現しているが、平家物語では海が平家の血で薄紅色になってしまっている。
この和歌を下敷きにしたかどうかは定かではないが、もしそうだとすると実に対照的で、戦場の悲惨さが際立つ。