二階の窓から

『平家物語』巻第十一より
能登殿のとどの最期さいご

作者未詳

原文 現代語訳 ノート

原文

 およそ能登守のとのかみ教経のりつねの矢先にまはる者こそなかりけれ。矢だねのあるほど射尽くして、今日を最後とや思はれけん、赤地のにしき直垂ひたたれに、唐綾威からあやをどしの鎧着て、いかもの作りの大太刀おほだち抜き、白柄しらえ大長刀おほなぎなたさやをはづし、左右さうに持つてなぎまはりたまふに、おもてを合はする者ぞなき。多くの者ども討たれにけり。新中納言、使者を立てて、

「能登殿、いたう罪つくりたまひ。さりとてよきかたきか。」

 とのたまひければ、

「さては大将軍たいしやうぐんに組めごさんなれ(※「組めとにこそあるなれ」の変形)。」

 と心得て、打ち物茎短くきみじかにとつて、源氏の船に乗り移り乗り移り、をめき叫んで攻め戦ふ。

 判官はうぐわんを見知りたまはねば、物の具のよき武者むしやをば判官かと目をかけて、せまはる。判官も先に心得て、おもてに立つやうにはしけれども、とかく違ひて、能登殿には組まれず。されどもいかがしたりけん、判官の船に乗り当たつて、あはやと目をかけて飛んでかかるに、判官かなはじとや思はれけん、長刀なぎなた脇にかい挟み、味方の船の二丈ばかり退いたりけるに、ゆらりと飛び乗りたまひぬ。能登殿は、早業はやわざや劣られたりけん、やがて続いても飛びたまはず。

 今はかうと思はれければ、太刀・長刀海へ投げ入れ、かぶともぬいで捨てられけり。鎧の草摺くさずりかなぐり捨て、胴ばかり着て、大童おほわらはになり、大手おほでを広げて立たれたり。およそあたりをはらつてぞ見えたりける。恐ろしなんどもおろかなり。能登殿、大音声だいおんじやうをあげて、

「我と思はん者どもは、寄つて教経に組んで生け捕りにせよ。鎌倉へ下つて、頼朝よりともに会うて、もの一詞ひとことば言はんと思ふぞ。寄れや寄れ。」

 とのたまへども、寄る者一人いちにんもなかりけり。

 ここに、土佐の国の住人、安芸あきがう知行ちぎやうしける安芸の大領だいりやう実康さねやすが子に、安芸太郎あきのたらう実光さねみつとて、三十人が力持つたる大力だいぢからかうの者あり。我にちつとも劣らぬ郎等らうどう一人、おととの次郎も普通にはすぐれたるしたたか者なり。安芸太郎、能登殿を見たてまつつて申しけるは、

「いかにたけうましますとも、我ら三人取りついたらんに、たとひたけ十丈の鬼なりとも、などか従へざるべき。」

 とて、主従しゆうじゆう三人小船に乗つて、能登殿の船に押し並べ、

「えい。」

 と言ひて乗り移り、甲のしころかたぶけ、太刀を抜いて、一面にうつてかかる。能登殿のちつとも騒ぎたまはず、真つ先に進んだる安芸太郎が郎等を、すそを合はせて、海へどうど蹴入れたまふ。続いて寄る安芸太郎を、弓手ゆんでの脇にとつてはさみ、弟の次郎をば馬手めての脇にかい挟み、ひと締め締めて、

「いざうれ、さらばおのれら、死出しでの山の供せよ。」

 とて、生年しやうねん二十六にて、海へつつとぞ入りたまふ。

 新中納言、

「見るべきほどのことは見つ。今は自害せん。」

 とて、乳母めのと伊賀いがの平内へいない左衛門ざゑもん家長いえながを召して、

「いかに、約束はたがふまじきか。」

 とのたまへば、

「子細にや及び候ふ。」

 と中納言に鎧二領着せたてまつり、我が身も鎧二領着て、手を取り組んで海へぞ入りにける。これを見て、さぶらひども二十余人、後れたてまつらじと、手に手を取り組んで、一所いつしよに沈みけり。その中に、越中次郎ゑつちゆうのじらう兵衛びやうゑ上総五郎かづさのごらう兵衛びやうゑ悪七兵衛あくしちびやうゑ飛騨四郎ひだのしらう兵衛びやうゑは、なにとしてか逃れたりけん、そこをもまた落ちにけり。
 海上かいしやうには赤旗・赤印あかじるし投げ捨て、かなぐり捨てたりければ、竜田川のもみぢ葉を嵐の吹き散らしたるがごとし。みぎはに寄する白波も、薄紅うすぐれなゐにぞなりにける。主もなきむなしき舟は、潮にひかれ、風に従つて、いづくをさすともなく揺られゆくこそ悲しけれ。


現代語訳

 およそ能登守のとのかみ教経のりつねの射る矢に立ち向かう者はいなかった。(教経は)手持ちの矢があるうちは射尽くして、今日を最期だとお思いになったのだろうか、赤い地の錦で仕立てた鎧直垂に、唐綾威からあやおどしの鎧を着て、厳めしい形に作られた大太刀を抜き、白木の柄の大長刀の鞘を外し、左右の手に持って薙ぎ回りなさると、面と向かってくる者はいない。(源氏側は)多くの者たちが討たれた。新中納言(知盛)は使いを遣って、

「能登殿、むやみに(殺生をして)罪をお作りなさってはならない。そうだからといって、好敵手というわけではないでしょうに。」

 とおっしゃったので、(教経は)

「それでは大将軍に組討てということだな。」

 と理解して、刀の柄を短くとって、源氏の船に乗り移っては乗り移り、わめき叫んで攻め戦う。

 (教経は)判官(=源義経)の顔を見知っていらっしゃらないので、鎧兜の立派な武士が判官ではないかと目をつけて、あちこち駆け回る。判官のほうも既に(教経が自分を捜し回っていると)知っていて、(教経の)前に立とうとはしたけれども、あちこちと行き違って、能登殿とは組み合いなさらない。けれどもどうしたことだろうか、(教経が)判官の船に乗り当たって、あれだと思って(判官を)目がけて飛びかかると、判官は敵わないとお思いになったのだろうか、長刀を脇に挟み、味方の船で2尺(=約6メートル)ほど離れた船に、ゆらりと飛び乗りなさった。能登殿は、(判官に)早業ではお劣りになったのだろうか、すぐに続いてもお飛びにならない。

 (教経は、好機を逃してしまい)今はもはや最期だとお思いになったので、太刀や長刀を海に投げ入れ、兜も脱いでお捨てになってしまった。鎧の草摺をかなぐり捨て、胴だけを着て、髪をばらばらにして、大手を広げてお立ちになった。およそ周囲を圧倒して見えたのだった。恐ろしいなんて言葉では言い尽くせない。能登殿は、大声を上げて、

「我こそはと思う者どもは、近寄ってこの教経に組み討ちして生け捕りにしろ。鎌倉に下って、源頼朝に会って、一言言ってやろうと思うぞ。さあ寄ってこい寄ってこい。」

 とおっしゃるけれども、近寄る者は一人もいなかった。

 そこに、土佐の国の住人で、安芸郷を支配していた安芸の長官実康さねやすの息子で、安芸太郎あきのたろう実光さねみつといって、30人力の力を持った大力の強者がいた。自分に少しも劣らない家来1人と、弟の次郎も並外れた強者である。安芸太郎が、能登殿を見申し上げて申したことには、

「どれほど猛々しくいらっしゃっても、我ら3人がとりついたならば、たとえ身長が10丈(=約30メートル)の鬼だとしても、どうして降伏させられないことがあろうか(いや、降伏させる)。」

 といって、主従3人が小船に乗って、能登殿の船につけて、

「えい。」

 と言って乗り移り、兜の錣を傾け、太刀を抜いて、一緒に打ってかかる。能登殿は少しも慌てなさらず、一番先に進んでいた安芸太郎の家来を、足をぶつけて蹴り、海へどっと蹴り入れなさる。続いて寄ってくる安芸太郎と、左手の脇に挟み込み、弟の次郎を右手の脇に挟み、ひと締め締め付けて、

「さあ来い、それではお前たち、冥土の山へのお供をしろ。」

 といって、(教経は)齢26歳で、海へさっと飛び込みなさった。

 新中納言(知盛)が、

「見届けなければならないことは見終わった。今はもう自害しよう。」

 と言って、乳母子である伊賀いがの平内へいない左衛門ざえもん家長いえながをお呼びになって、

「どうだ、(生死を共にするという)約束は破らないつもりか。」

 とおっしゃるので、(家長は)

「細かいことに言及するまでもございません。」

 と申し上げて中納言に鎧を2領着せ申し上げて、自分自身も鎧を2領来て、(中納言知盛と)手を取り合って海に入ってしまった。これを見て、侍たち二十余人が、遅れ申し上げまいと、手に手を取り組んで、同じ所に沈んだ。その中に、越中次郎兵衛、上総五郎兵衛、悪七兵衛、飛騨四郎兵衛の4名は、どのようにして逃げたのだろうか、そこをもまた逃げ延びてしまった。
 海上には平氏の赤旗や赤印が投げ捨てて、乱雑に捨てられているので、竜田川の紅葉の葉を嵐が吹き散らしたかのようだ。水際に打ち寄せる白波も、(血で)薄紅色になってしまった。乗り手もいなくて空っぽの船は、潮に流され、風に従って、どこともなく揺られてゆくのがなんとも悲しいことだ。


作品

平家物語へいけものがたり

作者は不詳。『徒然草』には信濃前司行長しなののぜんじ ゆきながという人物の作という話があるが、確定には至っていない。
鎌倉時代前半、1230年前後の成立と考えられている。

滅び行く平家一門の運命を描く軍記物語。無常観を主題としている。
琵琶法師によって琵琶を弾きながら語られた。


ノート

竜田川のもみぢ葉

 竜田川は、奈良県を流れる川で紅葉の名所。古くから和歌にも詠まれている。

ちはやぶる 神代もきかず 竜田川
からくれなゐに 水くゝるとは

在原業平朝臣

この和歌の詳しい解説は☞『百人一首 17 ちはやぶる』を参照。

 さて、平家物語では敗れた平家の赤い旗・印が海上に浮かんでいる様子を、平安時代全盛期の和歌に登場する、竜田川の紅葉の美しい光景に例えて表現したというわけだ。

 さらに、在原業平の和歌では川の紅葉を韓紅(濃く美しい赤)と表現しているが、平家物語では海が平家の血で薄紅色になってしまっている。
 この和歌を下敷きにしたかどうかは定かではないが、もしそうだとすると実に対照的で、戦場の悲惨さが際立つ。

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文庫: 361ページ
出版社: 角川書店 (1959/5/5)

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