二階の窓から

『源氏物語』
紫の上の死

紫式部

原文 現代語訳 ノート

原文

「薄墨」
とのたまひしよりは、いま少しこまやかにて奉れり
。世の中に幸ひあり、めでたき人も、あいなうおほかたの世にそねまれ、よきにつけても、心の限りおごりて、人のため苦しき人もあるを、あやしきまで、すずろなる人にも受け入れられ、はかなくし出で給ふことも、何事につけても、世にほめられ、心にくく、折ふしにつけつつ、らうらうじく、ありがたかりし人の御心ばへなりかし。

 さしもあるまじきおほよその人さへ、そのころは、風の音、無視の声につけつつ、涙落とさぬはなし。まして、ほのかにも見奉りし人の、思ひ慰むべき世なし。年ごろむつましくつかうまつり慣れつる人々、しばしも残れる命恨めしきことを嘆きつつ、尼になり、この世のほかの山住みなどに思ひ立つもありけり。

 冷泉院の后の宮よりも、あはれなる御消息絶えず、尽きせぬことども聞こえ給ひて、

枯れ果つる 野辺を憂しとや 亡き人の
秋に心を とどめざりけむ

今なむことわり知られ侍りぬる。」

とありけるを、ものおぼえぬ御心にも、うち返し、置きがたく見給ふ。言ふかひあり、をかしからむ方の慰めには、この宮ばかりこそおはしけれと、いささかのもの紛るるやうに、おぼし続くるにも、涙のこぼるるを、袖のいとまなく、え書きやり給はず。

上りにし 雲居ながらも かへりみよ
我あき果てぬ 常ならぬ世に

おし包み給ひても、とばかりうちながめておはす。

 すくよかにもおぼされず、我ながら、ことのほかにほれぼれしくおぼし知らるること多かる紛らはしに、女方にぞおはします。仏の御前に、人しげからずもてなして、のごやかに行ひ給ふ。千年をももろともにおぼししかど、限りある別れぞ、いとくちをしきわざなりける。今は、蓮の露もことごとに紛るまじく、のちの世をと、ひたみちにおぼし立つことたゆみなし。
 されど、人聞きをはばかり給ふなむ、あぢきなかりける。御わざのことども、はかばかしくのたまひおきつることなかりければ、大将の君なむ、とりもちてつかうまつり給ひける。今日やとのみ、わが身も心づかひせられ給ふ折多かるを、はかなくて積もりにけるも、夢の心地のみす。中宮なども、おぼし忘るる時の間なく、恋ひ聞こえ給ふ。


現代語訳

(源氏が、葵の上を亡くしたときに)「薄墨(衣)」
とおっしゃったときよりは、もう少し色が濃いのをお召しだった
。世の中では、幸いに身分が高い人も、わけもなく普通の人々にねたまれ、身分がよい事につけて、この上なく傲り高ぶって、周りの人にとって不都合な人もいるが、(紫の上は)不思議なほどに思いがけない人にも好かれて、なんでもなくしなさったことも、何かとつけて、世の中に人々に褒められ、奥ゆかしく、折々にあった事をして、よく気が利いて、めったにいない性格のお方でいらっしゃった。

 (紫の上との関係が)それほどでもなさそうな一般の人までも、そのころ(秋)は風の音や虫の声につけては、涙を流さない人は居ない。まして、少しでもお会い申し上げた人は、思いを慰められるときはなかった。長年親しくお仕え申し上げ、慣れていた人々は、しばらく残ってしまった自分の命が恨めしいことを嘆いては嘆き、尼になり、この世を離れた山に住むことなどを思い立つ者もいるのだった。

 冷泉院(秋好中宮あきこのむちゅうぐう)からも、しみじみとした便りが絶えず、なくなったことごとも申し上げなさって、

枯れ果ててしまった 野辺を嫌ってだろうか 亡き人(紫の上)は
秋に心を 惹かれなかったのだろうなあ

今、(紫の上が秋を嫌っていた)理由を自然と知り申し上げた。」

とあったのを、(源氏は、悲しみで)何も考えられないお気持ちにも、繰り返し(読んで)、置きがたくご覧になる。一緒に話す価値があり、風情のあるような人の慰めとしては、この中宮だけがいらしゃったのだなあ。と少しは悲しみが紛れるようにお思いになりつづけるけれども、涙がこぼれるのを拭う袖のひまもなく、返歌をお書きになれない。

昇ってしまった 雲の上からも 振り返ってくれよ
私は無常の世の秋に 飽きて果ててしまったよ

(源氏は、中宮からの文を)お包みになっても、そのまま物思いに耽っていらっしゃる。

 気強くお思いになることも出来ず、我ながら、思いのほかにひどくぼんやりとしてなんとなく思い知ることが多くあるのを紛らわすために、女の方へといらっしゃる。仏前に人がいっぱいにならないようにして、心静かに勤行をなさる。(紫の上と)千年さえ一緒に過ごそうとお思いになったが、死別があるということが、とても残念なことであった。今は極楽往生の願いも他のことに紛れないように、死後の世をと、ひたすらお思い立つことは留まることがない。
 しかし、世間を遠慮しなさることはおもしろくないなあ。追善のご法要のことなどもてきぱきとおっしゃっておいたことがなかったので、大将の君が、葬儀を行い申し上げなさった。今日こそ出家しようかとばかり、源氏自身の身も心配をしなさることが多いのを、何もすることもなく月日が経ってしまったのも、夢のような心地がするだけだ。中宮なども紫の上をお忘れになる時間がなく、恋しく申し上げなさる。


ノート

「薄墨」と仰ったときよりも濃い衣をお召しだった理由

「薄墨」と仰ったときとは、葵の上を亡くしたときのこと。
そのときよりも、光源氏の悲しみが強かったから。

二つの和歌の解説

●秋好中宮の歌

枯れ果つる 野辺を憂しとや 亡き人の
秋に心を とどめざりけむ

枯れ果つる野辺
=秋の景色(寂しい)
=紫の上を亡くした秋好中宮の気持ち が織り込まれている

●光源氏の歌

上りにし 雲居ながらも かへりみよ
あき果てぬ←倒置→常ならぬ世に

雲居
@雲の上(→紫の上)
A宮中(→中宮への呼びかけ)

あき
→掛詞(秋+飽き)

瀬戸内寂聴 源氏物語 文庫 全10巻 完結セット (講談社文庫)
→Amazon.co.jpで購入

文庫
出版社: 講談社 (2012/5/30)
ASIN: B008B5CGAS
発売日: 2012/5/30
商品パッケージの寸法: 15.6 x 15 x 10.8 cm

関連記事

紫式部『源氏物語』より
須磨の秋

在原業平『伊勢物語』より
東下り

井原西鶴『西鶴諸国ばなし』より
大晦日は合はぬ算用

←前
『紫式部日記』 若宮誕生
次→
『蜻蛉日記』 うつろひたる菊
二階の窓から > 古典ノート > 物語 > 『源氏物語』 紫の上の死