むかし、男ありけり。その男、身をえうなきものに思ひなして、京にはあらじ、東の方に住むべき国求めにとて行きけり。もとより友とする人、ひとりふたりして、いきけり。道知れる人もなくて惑ひ行きけり。
三河の国、八橋といふ所にいたりぬ。そこを八橋といひけるは、水ゆく河の蜘蛛手なれば、橋を八つ渡せるによりてなむ八橋といひける。その沢のほとりの木の蔭に下り居て、餉食ひけり。その沢に、かきつばたいとおもしろく咲きたり。それを見て、ある人のいはく、
「かきつばたといふ五文字を、句の上に据ゑて、旅の心をよめ」
といひければよめる。
唐衣 着つつなれにし つましあれば
はるばるきぬる 旅をしぞ思ふ
とよめりければ、みな人、餉の上に涙落して、ほとひにけり。
*
行き行きて駿河の国にいたりぬ。宇津の山にいたりて、わが入らむとする道はいと暗う細きに、つたかえでは茂り、物心ぼそく、すずろなるめを見ることと思ふに、修行者あひたり。
「かかる道はいかでかいまする」
といふを見れば、見し人なりけり。京に、その人の御もとにとて、文書きてつく。
駿河なる 宇津の山辺の うつつにも
夢にも人に 逢はぬなりけり
富士の山を見れば五月のつごもりに雪いと白う降れり。
時知らぬ 山は富士の嶺 いつとてか
鹿の子まだらに 雪の降るらむ
その山は、ここにたとへば比叡の山を二十ばかり重ねあげたらむほどして、なりは塩尻のやうになむありける。
*
なほゆきゆきて、武蔵の国と下つ総の国とのなかにいと大きなる河あり。それをすみだ河といふ。その河のほとりにむれゐて、思ひやれば、かぎりなく遠くも来にけるかな、とわびあへるに、渡守、
「はや船に乗れ、日も暮れぬ」
といふに、乗りて渡らむとするに、みな人ものわびしくて、京に思ふ人なきにしもあらず。さるをりしも、白き鳥の、はしとあしと赤き、鴫の大きさなる、水の上に遊びつつ魚を食ふ。京には見えぬ鳥なれば、みな人見しらず。渡守に問ひければ、
「これなむ都鳥」
といふを聞きて、
名にしおはば いざ言問はむ 都鳥
わが思ふ人は ありやなしやと
とよめりければ、船こぞりて泣きにけり。
むかし、ある男がいた。その男は、自分の身を、世の役に立たないものだと思って、京の都ではなく、東の方へと住むべき国を求めに行こうと思って、行った。以前から友人としていた人物ひとりふたりを連れて行った。道を知っている人もおらず、迷いながら進んだ。
さて、三河の国(愛知県近辺)の八橋というところにたどり着いた。そこを八橋と呼ぶのは、水の流れる川が蜘蛛の手のよう(に分かれている)なので、橋を八つ渡したということで、八橋といったのである。その川辺の木陰へと降りていって、干した米を食べた。その川辺にはカキツバタがとても趣のある感じで咲いていた。それを見て、ある人が言った。
「『か き つ ば た』という五文字を、各句の頭において、旅の心を一首よんでみてくれ」
そう言われたので、詠んだ。
唐衣のように慣れ親しんだ妻は都にいるので、
遠く離れて来てしまった旅をしてしまったのだなあ。
と詠んだところ、みな、干した米の上に涙を落して、すっかりふやけてしまった。
*
進んでいき駿河の国に至った。宇津の山へたどり着き、私が進もうとする道はとても暗く細く、蔦や楓が茂り、心細く、思いがけないひどい目にあうのだろうと思っていたら、修行者に会った。
「こんな道をどうしていらっしゃっているのか」
と尋ねてくるのを見ると、見知っている人だった。京の都に、その人に託して、手紙を書いて渡した。
駿河にある 宇津の山辺の「うつ」ではないが うつつ(現実)でも、
あるいは夢の中でも、思っている人(あなた)に 逢わないのだなあ
富士の山を見ると、五月も末に雪がとても白く降っていた。
季節を知らない山は富士の峰だ。今をいつだと思って
鹿の背の模様のような雪が積もっているのだろう
その山は、たとえるならば比叡山を二十個ほど重ねたぐらいの高さで、形は(塩田の)塩尻のようなものであった。
*
さらに進んでいき、武蔵の国と下総の国のあいだにとても大きな河があった。その河を隅田川といった。その河のほとりに群がり集まって座って、思いやると、かぎりもないほど遠くまで来てしまったなあ、とわびしく思い合っていたところ、船頭が
「はやく船に乗ってくれ、日も暮れてしまった」
というので、乗って渡ろうとしたのだが、誰もみなわびしくて、京の都に想っている人が居ないというわけでもない。ちょうどそんな折に、白い鳥で、くちばしと足が赤く、シギぐらいの大きさをしたのが、水の上を泳ぎ回りながら魚を食べている。京の都では見かけない鳥なので、誰も知らなかった。渡し守に聞くと、
「これは都鳥だ」
というのを聞いて、
(都鳥という)名を持っているのならば、さて問いかけよう。都鳥よ
わたしが恋しく想い人は、(京の都で)元気でいるのかどうかを
と詠んだところ、船に乗っている人々はこぞってみな泣いてしまった。
『伊勢物語』第九段より。
在原業平をモデルとした物語。
これだけ有名な作品でありながら作者は不詳。作者について在原業平本人、あるいは紀貫之、など様々な説がある。
成立時期も不詳だが、少なくとも在原業平の没(880年)以降であり、11世紀以降の大幅な増補を経て現在の形になったようである。
解説がないと解釈が難しそうな二首について、品詞分解をして見ていきましょう。
からころも |
名 |
【唐衣】 |
き | ||||
着 | つつ | なれ | に | し |
動 | 接助 | 動【掛詞】 | 助動 | 副助 |
カ上一 (連用形) |
ラ下二 (連用形) |
完了 | 過去 |
つま | し | あれ | ば |
名【掛詞】 | 副助 | 動 | 接助 |
妻+褄 | 強意 | ラ変 | 確定条件 |
はるばる | き | ぬる |
副 | 動 | 助動 |
【遙々】 | カ変 (連用形) |
完了 (連体形) |
たび | を | し | ぞ | おもふ |
名 | 格助 | 副動 | 係助 | 動 |
【旅】 | 強意 | ハ四 (連体形) |
・慣れ親しむ(←「妻」に対して)
・着馴れる(←「褄」に対して)
・妻
・褄(衣の端)
着馴れてしまった唐衣の褄のように、慣れ親しんでいた妻が(京の都に)いるので、
(都を)遠く離れてはるばる来てしまった旅のことを、しみじみと思うよ。
するが | |
駿河 | なる |
名 | 助動 |
存在 |
うつ | やまべ | ||
宇津 | の | 山辺 | の |
名 | 格助 | 名 | 格助 |
うつつ | に | も |
名【掛詞】 | 格助 | 格助 |
宇津つ+現 |
ゆめ | ひと | |||
夢 | に | も | 人 | に |
名 | 格助 | 格助 | 名 | 格助 |
あ | |||
逢は | ぬ | なり | けり |
動 | 助動 | 助動 | 助動 |
ハ四 (未然形) |
打消 (連体形) |
断定 (連用形) |
詠嘆 (終止形) |
駿河にある宇津の山辺の「うつ」ではないが、
うつつ(現実)でも、あるいは夢の中でも、思っている人(あなた)に逢わないのだなあ。
夢で逢うということ
なんていう歌がありますが、現代においても夢で誰かが出てくると、その人との関係を意識してしまいますよね。平安時代においては、夢に人が出てくるというのはその人が自分を想っているという意味だと考えられていました。
さて、本文中の和歌にはこういう表現がありました。
うつつにも 夢にも人に 逢はぬ
(現実でも夢でもあなたに会わない)ということですが、妻が男のことを想わなくなっている、と解釈できます。
夢に出てこなくなる = フラれてしまった ということですね。これは平安時代の常識感覚として覚えておくと良いでしょう。