いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひける中に、いとやむごとなききはにはあらぬが、すぐれてときめきたまふありけり。はじめより「我は。」と思ひあがりたまへる御方々、めざましきものにおとしめそねみたまふ。同じほど、それより下の更衣たちは、ましてやすからず。
朝夕の宮仕へにつけても、人の心をのみ動かし、恨みを負ふつもりにやありけむ、いとあつしくなりゆき、もの心細げに里がちなるを、いよいよあかずあはれなるものに思ほして、人の誹りをもえはばからせたまはず、世のためしにもなりぬべき御もてなしなり。
上達部、上人なども、あいなう目をそばめつつ、
「いとまばゆき人の御おぼえなり。唐土にも、かかることの起こりにこそ、世も乱れあしかりけれ。」
と、やうやう天の下にもあぢきなう、人のもてなやみぐさになりて、楊貴妃のためしも引き出でつべくなりゆくに、いとはしたなきこと多かれど、かたじけなき御心ばへのたぐひなきを頼みにて、交じらひたまふ。
父の大納言は亡くなりて、母の北の方なむ、いにしへの人のよしあるにて、親うち具し、さしあたりて世のおぼえはなやかなる御方々にもいたう劣らず、何事の儀式をももてなしたまひけれど、とりたてて、はかばかしき後見しなければ、ことある時は、なほよりどころなく心細げなり。
前の世にも、御契りや深かりけむ、世になく清らなる玉の男皇子さへ生まれたまひぬ。いつしかと心もとながらせたまひて、急ぎ参らせてご覧ずるに、珍かなる児の御容貌なり。一の皇子は、右大臣の女御の御腹にて、寄せ重く、
「疑ひなきまうけの君。」
と、世にもてかしづききこゆれど、この御にほひには並びたまふべくもあらざりければ、おほかたのやむごとなき御思ひにて、この君をば、わたくしものに思ほしかしづきたまふこと限りなし。
はじめよりおしなべての上宮仕へしたまふべききはにはあらざりき。おぼえいとやむごとなく、上衆めかしけれど、わりなくまつはさせたまふあまりに、さるべき御遊びのをりをり、何事にもゆゑあることのふしぶしには、まづ参い上らせたまふ。ある時には、大殿籠り過ぐして、やがてさぶらはせたまひなど、あながちに御前去らずもてなさせたまひしほどに、おのづから軽き方にも見えしを、この皇子生まれたまひて後は、いと心ことに思ほしおきてたれば、
「坊にも、ようせずには、この皇子のゐたまふべきなめり。」
と、一の皇子の女御はおぼし疑へり。人より先に参りたまひて、やむごとなき御思ひなべてならず、皇女たちなどもおはしませば、この御方の御諫めをのみぞ、わづらはしう、心苦しう思ひきこえさせたまひける。
かしこき御蔭をば頼みきこえながら、おとしめ疵を求めたまふ人は多く、わが身はか弱くものはかなきありさまにて、なかなかなるもの思ひをぞしたまふ。
御局は桐壺なり。
どの(帝の)御代であっただろうか、女御や更衣がたくさんお仕え申し上げていらっしゃる中に、それほどは高貴な家柄ではなく、格別に帝の寵愛を受けていらっしゃる方(更衣)がいた。最初から「我こそは(帝の寵愛を受けるのだ)。」と自負なさっている方々は、気にくわないやつだと貶め嫉妬なさる。同じ身分の者、そしてそれより低い身分の者たちは、まして心穏やかではない。
朝夕の宮仕えにつけても、(周囲の)人の心をざわつかせ、色々な人の恨みを買うことが積もりに積もったのであろうか、その更衣は非常に病気がちになっていき、心細そうで実家へひきこもりがちなのを、(帝は)ますます飽きたらず不憫だとお思いになって、人の非難さえも憚ることができずに、世間の語りぐさになってしまうであろうほどの寵愛ぶりである。
上達部、殿上人なども、(帝のあまりもの寵愛ぶりを)気に入らなく目をそむけながら、
「なんとも見ていられないほどのご寵愛ぶりだ。中国でも、こんな事態が起こったとき、世が乱れて悪いことであったよ。」
と、しだいに世間でも面白くなく思われ、人々の心配事の種になり、楊貴妃の例も引き合いに出してくるようになってゆくので、(寵愛を受ける更衣は)非常にきまりが悪いことも多いのだが、(帝の)恐れ多いお気持ちの、類ないほどであることを頼りにして、お仕えなさる。
父の大納言は亡くなって、母 北の方は、旧家の出で、教養の深い人である。両親がどちらも健在で、今のところ世の中の評判がよい女御や更衣たちにもそれほど劣らず、色々の儀式を執り行いなさったのだが、とりたててしっかりとした後見人がいないので、何かことが起こったときは、やはり後ろ盾がなく心細そうである。
(帝とこの更衣は)前世においても因縁が深かったのであろうか、世に類ないほどの清らかで玉のような皇子までもがお生まれになった。(帝は)いつになったら(皇子に会えるのか)と待ち遠しがりなさって、急いで(皇子を帝のもとへ)参らせてご覧になると、類い稀な皇子のお姿である。第一皇子は、右大臣の女御の子であり、後見人の勢力が強く、
「間違いなく次の帝となるお方。」
と、世間に大切にされて申し上げているけれども、この(更衣のもとに生まれた第二皇子の)美しさには並ぶこともできなかったので、(帝は)ひとおりの大切なお思い入れぶりで、この若宮を個人的に大切なものだとお思いになり大事に育てなさること限りない。
(第二皇子の母である更衣は)本来、普通の宮仕えをなさるような身分ではなかった。世間の評判としても非常に高貴で、身分が高そうにしているが、(帝が)むやみやたらに(更衣を)側に付き添わせなさるあまりに、しかるべき管弦の遊びの折々や、何事にも由緒のある催し事の節々があるときには、一番に(更衣を)参上させなさる。ある時は、朝二人で寝過ごしなさって、そのままおそばにお置きになるなど、むやみに御前から離れないように待遇しなさっているうちに、自然と(それまでは)軽い(身分の)お方にも見えていたのに、第二皇子が生まれなさってからは、格別に思い入れているので、
「坊(皇太子の御所)にも、ひょっとして、この第二皇子がいらっしゃるようになるのではないか。」
と、第一皇子の母の女御は思い疑っている。(この女御は)他の従者たちよりも先にお仕えなさっていて、(帝が女御を)大切だと思う気持ちは並大抵ではなく、皇女たちもいらっしゃるので、このお方の苦情だけは、いっとう煩わしく、つらくお思い申し上げなさった。
(更衣は)恐れ多い帝のご庇護を依り処にし申し上げているが、(更衣を)貶めて欠点を探しなさる人も多く、(更衣)自身はか弱く頼りにならないご様子で、むしろ気苦労をなさる。
(更衣の)お部屋は桐壺である。
『源氏物語』
54巻にわたる長編物語。11世紀初頭の成立。作者は紫式部。
平安貴族のあいだで大流行し、日本文学に多大な影響を与えた。大まかに 光源氏をメインに扱った『光源氏物語』と『宇治十帖』に分けられる。
今回読み進めた文章は第一帖『桐壺』の冒頭部分である。
本章を読み進めると、「第一皇子と第二皇子(光源氏)」という対比が至る所にみられる。状況をまとめてみよう。
一の皇子 (第一皇子) | 光源氏 (第二皇子) |
|
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母 | 弘徽殿の女御 帝に最初から仕えていて、帝も等閑にできない | 桐壺の更衣 身分は低いが帝に溺愛され、妬まれている |
後見 | 祖父は右大臣で、強い後ろ盾がある | 大納言の祖父は亡くなっていて、後見人がいない |
地位 | 本来ならば「間違い無く次の帝」 | 清らかで玉のように美しく、 帝が個人的に大事にお育てになっている |
表にまとめると、ねじれた状況になっていることが分かる。
本来ならば一の皇子が皇太子となるべきだが、帝が光源氏(第二皇子)を大事に育て、またその母である桐壺の更衣を溺愛するあまり、周囲の恨み、妬み、呆れを買っている描写がたくさんあった。
平安時代の身分制度
女御・更衣・上達部・上人…。たくさん身分の名前が出てきますが、この時代(平安時代半ば)、それぞれの身分がどこにあたるのか整理してみましょう。
以下、正七位、従七位……と続いていきますが、ここでは割愛します。
「上達部」は公卿ともいい、おおむね正一位〜従三位の身分の者です。「上人」というのは殿上人のこと。おおむね正四位〜従五位の者ですね。
上達部と殿上人はどちらも昇殿を許された身分であり、いうなれば上級貴族です。
いっぽう、これ以下の位階にある者は、昇殿を許されていないため「地下」とよばれました。
さて、女御というのは大臣(従二位以上)の家柄の娘が入内したとき、更衣は納言以下(正三位以下)の家柄の娘が入内したときに与えられる身分です。
更衣より女御のほうが家柄が良い、ということになります。
今回の『桐壺』に登場する一の皇子の祖父が右大臣の家柄なので、母親は女御。
光源氏は祖父が大納言の家柄なので、母親は更衣でしたね。