これも今は昔、忠明といふ検非違使ありけり。それが若かりけるとき、清水の橋のもとにて京童部どもと、いさかひをしけり。京童部手ごとに刀を抜きて、忠明を立て込めて殺さむとしければ、忠明も太刀を抜いて、御堂ざまに上るに、御堂の東のつまにも、あまた立ちて向かひあひたれば、内へ逃げて、蔀のもとを脇に挟みて、前の谷へ躍り落つ。
蔀、風にしぶかれて、谷の底に鳥のゐるやうにやをら落ちにければ、それより逃げて往にけり。京童部ども谷を見おろしてあさましがり、立ち並みて見けれども、すべきやうもなくて、やみにけりとなん。
これも今となっては昔のことだが、忠明という名の検非違使(警察官)がいた。彼が若かったとき、清水寺の橋(欄干のある階段)のたもとで、京の都の若者たちと喧嘩をした。若者たちはそれぞれの手で刀を抜き、忠明を取り囲んで殺そうとしたので、忠明の方も太刀を抜いて、お堂の方へ上ったところ、お堂の東の端にも、(若者の仲間たちが)たくさん立っていて向かい合ってしまったので、(お堂の)中へ逃げて、蔀(板張りの窓)の下の方を脇に挟んで、目の前の谷へ飛び降りた。
蔀は、風に押し支えられて、(忠明は)谷の底へ鳥がとまるように静かに落ちたので、そこから逃げて去って行ってしまった。京の若者たちは谷を見おろして驚き呆れ、立ち並んで見ていたのだが、どうしようもなくて、終わってしまったそうだ。
『宇治拾遺物語』
第95話より。
鎌倉時代、13世紀初頭の成立。作者不詳。全15巻、日本・中国・天竺(インド)の三国を舞台とした説話が197編 収録されている。序文によると、源 隆国によって書かれた『宇治大納言物語』(現在は散逸)に収録されずに漏れた話が集められたものである。
主に仏教説話、世俗説話、民間伝承が取り上げられており、この中には「わらしべ長者」や「舌切り雀」のような話も含まれている。
忠明が検非違使になる前、京の柄の悪い若者たちを相手に一人で喧嘩をした。
ところが予想以上に敵の数が多く囲まれてしまい、逃げるに逃げられないところ、蔀をもって谷へ飛び降りたところ、上手く着地でき、幸い命を落とすことなく逃げおおせた。
というのがこの話の筋書き。同じような話は『今昔物語集』(平安末期の仏教説話集)にも登場するが、こちらでは「命が助かったのは忠明が『観音様、お助けください』と願い、観音様が助けてくださったからである」というオチになっている。
蔀とは、何?
蔀というのは、寝殿造のお屋敷での窓の役割を果たす、木の格子に板を張ったもののこと。ふつうは開閉に便利な、上下が分かれた半蔀が一般的でした。
上側は「長押」という金具に吊り下げてあり、開けるときは跳ね上げて「垂木」にかけておきます。
下側は、全面開放するときのため、外せるようになっていました。
忠明は外せる半蔀の下側を使って、谷へ飛び降りたのですね。