二階の窓から

百人一首 088 難波江の


難波江の あしのかりねの 一よゆゑ
身をつくしてや 恋ひわたるべき

皇嘉門院別当くわうがもんゐんのべつたう

品詞分解

なにはえ
難波江
格助
現在の大阪の地名。
蘆の名所。旅宿も多くあった。
あし
かりね
格助 名【掛詞】 格助
刈り根
+仮寝
 
ひとよ ゆゑ
名【掛詞】 形名
一夜
原因・理由
 
みをつくし
【掛詞】 接助 係助
名「澪標
+「身を尽くし」
疑問
こ  
恋ひ わたる べき
補動 助動
ハ上二
(連用形)
ラ四
(終止形)
〜し続ける。
推量
「や」の結び(連体形)

現代語訳

難波江の
蘆の刈り根のひと節のように(=短い)
旅の一夜の仮寝のために、
この身を尽くして
恋し続けるのだろうかね。

☆ 技巧上のポイント ☆

序詞

「難波江の 蘆の」までは、
→「刈り根の一節」へ導くための序詞じょことば

縁語

難波江 → 「澪標」、「渡る
→ 「刈り根」、「

掛詞

上記 品詞分解【掛詞】を参照のこと。3つある。

作品の解説

出典千載集せんざいしゅう』恋3・807

歌合わせで「旅宿逢恋りょしゅくにあふこひ」がテーマとして出たときに詠まれた歌。

難波なには遣唐使の時代に栄えた港町であり、旅の宿も多くあった。 旅でやってくる男相手に、遊女は一夜限りの儚い恋を繰り返し、思慕に心を乱したことだろう。
こういう場所柄もあり、難波江は「旅宿逢恋」の題材としてぴったりだ。
ちなみに、難波は平安時代に遣唐使が廃止されてから廃れていったが、歌枕として残ることとなった。

「技巧上のポイント」にまとめたとおり、とにかく技巧づくしである。 この点が晩年の定家の気に入られた、ということが百人一首に選び入れられた理由の一つだろう。
しかし百人一首の成立以前、皇嘉門院別当の歌は勅撰集には4首しか入っておらず、あまり有名な歌人とはいえなかった。
別当の歌が百人一首に入ったのには、少々疑問が残るところだ。

特筆すべき点は、この歌が九条兼実くじょうかねざねの家で行われた歌合で詠まれたことだ。
兼実は藤原忠通(☞76番 「わたのはら」 の作者)の子で、別当が仕える崇徳院中宮・皇嘉門院聖子の異母弟であった。
つまり、崇徳院(☞77番 「瀬をはやみ」 の作者)の配下としての繋がりが浮かび上がってくる。

藤原忠通、皇嘉門院、崇徳院、皇嘉門院別当の関係図

「難波」は遣唐使廃止で衰退した場所だが、なんとなく崇徳院の栄枯盛衰と重なる。 そうした意味合いもあって、定家はこの歌を選び入れたのかもしれない。

作者

皇嘉門院別当こうかもんいんのべっとう(生没年未詳)

父は源俊隆。 崇徳院の皇后聖子(皇嘉門院。関白 藤原忠通の娘。)に女房として仕えた。
聖子からの縁で、九条兼実くじょうかねざね(聖子の異母弟)が主催する歌合わせで歌を残している。

『千載集』に2首、『新勅撰集』に2首、以下の勅撰集に5首、計9首入集。

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島津 忠夫 (翻訳)
文庫: 317ページ
出版社: 角川書店; 新版 (1999/11)
言語: 日本語
商品パッケージの寸法: 15 x 10.6 x 1.4 cm
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