和田の原 こぎ出て見れば 久堅の
くもゐにまがふ 沖つ白波
わたのはら |
名 |
大海原。 |
こ | い | み | ||
漕ぎ | 出で | て | 見れ | ば |
動 | 動 | 接助 | 動 | 接助 |
ガ四 (連用形) |
ダ下二 (連用形) |
マ上一 (已然形) |
既定条件 |
ひさかた | |
久堅 | の |
名 | 格助 |
枕詞→「雲」 |
くもゐ | ||
雲居 | に | まがふ |
名 | 格助 | 動 |
雲のかかっている所。 | ハ四 (連体形) |
おき | しらなみ | |
沖 | つ | 白波 |
名 | 格助 | 名 |
所属 (古い格助詞) |
※体言止め |
大海原に
(船を)漕ぎ出して見渡すと、
遙か向こうに
雲と見違えるような
沖の白波だなあ。
出典『詞花集』雑下・382
崇徳天皇の時代、1135年の内裏歌合わせのときに「海上眺望」をお題に出されて詠んだ歌。
堂々としていて大らかな、余情たっぷりの歌である。
また、細川幽斎(1534 - 1610)は『百人一首抄』で、漢詩との類似性を指摘している。
杜甫 : 春水船如坐天上
(春水の船は天上に坐するが如し。)
王勃 : 秋水共長天一色
(秋水長天と共に一色。)
どちらも、水面と空が混じり合うような、おおらかな光景を詠み上げた歌である。
漢詩にも通じる趣をたたえた歌として、評判の高い歌だったようだ。
藤原定家は『八代集秀逸』にもこの歌を選び入れるなど、非常に気に入っていたことが窺える。
法性寺入道前関白太政大臣(1097 - 1164)
藤原忠通。
従一位。様々な危機があったものの、鳥羽、崇徳、近衛、後白河と、4代の天皇の関白を歴任し、政治的に生き延び続けた。
1162年に法性寺別業で出家し、円観と号した。
『金葉集』以下の勅撰集に58首入集。
歌人としても評価も高く、「柿本人麻呂にも恥じない歌人だ」「菅原道真よりも優れた漢詩の腕前だ」などとも噂されていた。