玉のをよ 絶なば絶ね ながらへば
忍ぶることの よはりもぞする
たま | を | ||
玉 | の | 緒 | よ |
名 | 格助 | 名 | 間投助 |
呼びかけ |
た | た | |||
絶え | な | ば | 絶え | ね |
動 | 助動 | 接助 | 動 | 助動 |
ヤ下二 (連用形) |
完了 (未然形) |
仮定条件 | ヤ下二 (連用形) |
完了 (命令形) |
ながらへ | ば |
動 | 接助 |
ハ下二 (未然形) |
仮定条件 |
しの | ||
忍ぶる | こと | の |
動 | 名 | 格助 |
バ上二 (連体形) |
主格 |
よは | |||
弱り | も | ぞ | する |
動 | 係助 | 係助 | 動 |
ラ四 (連用形) |
強意 | サ変 「ぞ」の結び(連体形) |
私の命よ、
絶えるなら絶えてしまえ。
生き長らえたら、
我慢して耐えることが
できずに弱って(心が露わになって)しまっては大変だから。
そのままの意味で言うと、「玉を貫き通す緒」。 転じて、「魂を体に繋いでおくもの」。命。
緒の縁語 → 「絶ゆ」、「ながらふ」、「弱る」、
出典『新古今集』恋1・1034
「忍ぶる恋」というお題で詠まれた。 内親王という高い身分にもかかわらず、「命よ絶えてしまえ」という情熱的で激しい調子の歌だ。
式子内親王は生涯未婚であり、自身の実感を元にした歌ではないと思われる。
それにもかかわらず、幻想的・理想的な恋の悲しさを見事に文学的に表現している。 内親王が追求した恋の姿勢だ。
自身は未婚を貫いたのだから、ある種の自虐もこもっているだろう。 そういった事情を考えると一層切ない印象が強まる。
式子内親王(1149 - 1201)
後白河院の第三皇女。
定家と恋仲にあったという説もあるが、真偽は定かではなく怪しい。
歌合わせなどの歌壇での記録があまりないが、『千載集』以降の勅撰集に155首入集。 陰で活躍した歌人だ。