二階の窓から

百人一首 090 見せばやな


見せばやな をじまの蜑の 袖だにも
ぬれにぞぬれし 色はかはらず

殷富門院大輔いんぷもんゐんのたいふ

品詞分解

み  
見せ ばや
終助
サ下二
(未然形)
願望 感動
をじま あま
雄島
格助 格助
松島(宮城県)
の島の一つ。
漁夫。
そで
だに
係助
類推
ぬ   ぬ  
濡れ 濡れ
格助 係助 助動
ラ下二
(連用形)
強意 ラ下二
(連用形)
過去
「ぞ」の結び(連体形)
いろ か   
変はら
係助 助動
※紅涙(血の涙)の色
という意味を込めている。
ラ四
(未然形)
打消
(終止形)

現代語訳

(あなたに)見せたいよ。
雄島の漁夫の
袖でさえ
すっかり濡れてしまっても
色は変わらないのに。
(私の袖は、あなたへの恨みの血の涙で色が変わってしまったよ。)

作品の解説

出典千載集せんざいしゅう』恋4・886

『後拾遺集』827番(源重之)の以下の歌を本歌取り(昔の有名な歌を下敷きにして、新しい歌を詠むこと)したもの。

松島や 雄島の磯に あさりせし
あまの袖こそ かくはぬれしか

【現代語訳】
松島の雄島の磯で漁をしている
海士ぐらいだろう。 こんなに袖が濡れているのは。
(→つらい恋で、私はこんなに袖を濡らしているんですよ)

重之の歌は、「袖が濡れていること」を詠んでいるが、殷富門院大輔はさらにその先、「袖の色が変わっていること」を詠んでいる。

豆知識
豆知識

雄島

 宮城県の松島群島の中の1つ。松島の光景を詠み上げた歌は従来からありましたが、雄島だけを取り上げて詠み込むことはほとんどありませんでした。
 しかし重之の「雄島の磯に〜」の歌により、平安時代末期以降、「雄島」は歌枕として流行しました。
 さらに、殷富門院大輔の歌が流行してから、「雄島のあま」+縁語「袖」「濡れ」は頻出する組み合わせとなったのです。

袖の色が変わった理由

@ 単に涙で色が変わってしまった
A 血の涙で色が変わってしまった
 の2つの説があります。
 平安時代の人は、おそらくAのほうを連想したことでしょう。
 というのも、中国の古典ではたびたび「涙が枯れて、血の涙が出るほど激しく泣く」という表現が登場したからです。『涙で色が変わった、ということは…漢詩でよく出てくる血涙だな?』ということです。

作者

殷富門院大輔いんぷもんいんのたいふ(1131? - 1200?)

藤原信成の娘。殷富門院(後白河院の第一皇女)の女房として仕えた。
『千載集』以下の勅撰集に63首入集。当時の一流女流歌人だ。

百人一首 (角川ソフィア文庫)
→Amazon.co.jpで購入

島津 忠夫 (翻訳)
文庫: 317ページ
出版社: 角川書店; 新版 (1999/11)
言語: 日本語
商品パッケージの寸法: 15 x 10.6 x 1.4 cm
←前
089 たまのをよ
次→
091 きりぎりす
二階の窓から > 古典ノート > 品詞分解 百人一首 > 090 見せばやな