村雨の 露もまだひぬ まきのはに
霧たちのぼる あきのゆふぐれ
むらさめ | |
村雨 | の |
名 | 格助 |
にわか雨。 |
つゆ | ひ | |||
露 | も | まだ | 干 | ぬ |
名 | 係助 | 副 | 動 | 助動 |
マ上一 (未然形) |
打消 (連体形) |
まき | は | ||
槙 | の | 葉 | に |
名 | 格助 | 名 | 格助 |
堅い木。 |
きり | た | |
霧 | 立ち | のぼる |
名 | 動 | 動 |
タ四 (連用形) |
ラ四 (連体形) |
あき | ゆふぐ | |
秋 | の | 夕暮れ |
名 | 格助 | 名 |
※体言止め |
にわか雨が
(急に降り過ぎて、)露もまだ乾いていない
槙の木の葉に、
霧が立ち上っている
秋の夕暮れだなあ。
出典『新古今集』秋下・491
村雨、露、干る、霧が縁語。
秋の夕暮れ時、自然が刻々と変化してゆく様子をあっさりと詠み上げた歌だ。
「村雨」と「槙」は、それぞれ当時の事情を考えると特徴的な題材なので、ちょっとした豆知識として押さえておこう。
にわか雨のこと。
三代集(古今集、後撰集、拾遺集)でわずか2例しか見られず、歌語として定着していない言葉だった。
しかし源氏物語で4例登場してから、『千載集』(1188)以降徐々に流行し始め、『新古今集』(1205)では5例登場。当時の流行語を取り入れた、と言える。
堅い木で、材木として用いられた。紅葉しない常緑樹。
素朴な歌が多い『万葉集』では庶民的な材木として詠み込まれることもあったが、紅葉せずいまひとつ冴えないので、平安時代以降は滅多に歌に詠まれることがなくなった。
(※ちなみに、木の種類「槙」ではなく 美化の接頭語「ま」+名詞「木」 と解釈する説もある。)
つまり、流行語の「村雨」と、死語の「槙」を融合したということだ。
秋なので紅葉の色鮮やかさを詠み上げるべきところ、あえて紅葉せず色の無い「槙」に、にわか雨が降って霧が立ちこめている様子を描いている。そんな淡々とした、日本画・水墨画のような景色が思い浮かぶ。
寂蓮法師(1139? - 1202)
俗名は藤原定長。 1150年頃、藤原俊成の養子となり、従五位上・中務少輔まで務めた。
1172年頃、30代で出家して歌道に精進した。
1201年に和歌所寄人となり、『新古今集』の撰者となったが、撰歌途中で逝去。
『千載集』以下、117首入集。