二階の窓から

百人一首 062 よをこめて


よをこめて 鳥の空音は はかる共
よにあふさかの 関はゆるさじ

清少納言せいせうなごん

品詞分解

こめ
格助 接助
マ下二「籠む」
(連用形)
とり そらね
空音
格助 係助
鳴き真似。
とも
はかる
接助
ラ四「謀る」
(終止形)
だます。
逆説
あふさか
よに 逢坂
格助
決して。
せき ゆる  
許さ
係助 助動
サ四
(未然形)
打消推量
(終止形)

現代語訳

夜の明けないうちに
(中国の故事、函谷関のように)鳥の鳴き真似をして
だましたとしても
決して逢坂の関は
許さないだろうよ。(私は決して会いませんよ。)

作品の解説

出典後拾遺集ごしゅういしゅう』雑2・939

藤原行成と、『史記』を踏まえて疑似恋愛の応酬をした際に、清少納言が詠んだ歌。
鳥の空音」というのは、鶏の鳴き真似で函谷関かんこくかん(関所)を開けたという中国の故事成語鶏鳴狗盗けいめいくとう」に基づいた表現。(詳しくは☞『十八史略』の鶏鳴狗盗を参照)

行成が物忌ものいみで早く帰ってしまい、次の早朝「(本当はもっと居たかったが)鶏の声に急かされて」と言い訳の文を送ってきたので、清少納言は、 夜更けに鳴いた鶏→『史記』で孟嘗君が函谷関で鳴かせた鶏 とすぐに連想して、
「函谷関のように簡単に逢坂の関は通れないわよ(=私はそう簡単に会いませんよ)」
と返して行成をやり込めてしまった。
清少納言は、この自分の才知を得意げに自身の『枕草子』でひけらかしたため、その話とともにこの歌が有名となった。

しかし、逢坂の関は当時すでに関所としての役割を失っており、通り抜けるのが難しい場所ではなかった。
「逢ふ」坂という名前から、しばしば出会いの象徴として用いられる題材ではあったが、簡単に通れない象徴として用いるのはちょっと的外れだと言えよう。

ライバルの紫式部は、清少納言のこういうところを見て、

清少納言こそ、(中略)をかしきことも見過ぐさぬほどに、おのづからさるまじくあだなるさまにもなるにはべるべし。

<現代語訳>

清少納言は、風流なことも見逃さないようにしているうちに、自然と見当外れで浮ついた様子になってしまう人だ。

※『紫式部日記』☞和泉式部、赤染衛門、清少納言参照
と評したのだろう。

作者

清少納言せいせうなごん(生没年未詳)

清原元輔きよはらのもとすけの娘。 深養父ふかやぶの曾孫。
橘則光と結婚し、一条天皇の中宮定子ていしに仕えた。

著書としては、随筆『枕草子』が有名。
後拾遺集以下の勅撰集に14首入集している。

百人一首 (角川ソフィア文庫)
→Amazon.co.jpで購入

島津 忠夫 (翻訳)
文庫: 317ページ
出版社: 角川書店; 新版 (1999/11)
言語: 日本語
商品パッケージの寸法: 15 x 10.6 x 1.4 cm
←前
061 いにしへの
次→
063 いまはただ
二階の窓から > 古典ノート > 品詞分解 百人一首 > 062 よをこめて