二階の窓から

百人一首 061 いにしへの


いにしへの ならの都の 八重桜
けふ九重に にほひぬるかな

伊勢大輔いせのたいふ

品詞分解

 
いにしへ
格助
昔。
奈良時代のこと。
なら みやこ
奈良
格助 格助
 
やへざくら
八重桜
 
ここのへ
けふ 九重
名【掛詞】 格助
「今日」、「京」 内裏。皇居。 場所
にほ  
匂ひ ぬる かな
助動 終助
ハ四
(連用形)
完了
(連体形)
詠嘆

現代語訳

昔(奈良時代)の
奈良の都の
八重桜が
今日は新しい京の都の九重(=皇居)で
美しく咲き匂っていることだなあ。

ポイント

対となる言葉

以下の3つが対となる言葉として用いられている。

八重桜 ⇔ 九重(=宮中)
いにしへけふ(今日)
古都・奈良 ⇔ 新都・けふ(京)

作品の解説

出典詞花集しかしゅう』春・29

奈良から京都の宮中にやってきた八重桜の美しさを詠み上げた歌。
「九重」とは、昔中国の王城が門を九重に作ったことから、宮中のことを言うようになった。
掛詞も用いつつ、様々な対になる言葉を詠み込んでおり、技巧にも凝っている。

この歌が詠まれた背景は『袋草紙』、『応永抄』などに書かれており、非常に有名な話となっていたようだ。

一条天皇の御代、奈良から献上された八重桜を受け取る際、歌を詠む大役が紫式部から突然伊勢大輔に譲られた。
作者の伊勢大輔は、代々和歌を得意とする家柄だったとはいえ、当時は新参女房だった。
その新参女房がどんな歌を詠むのか、と皆が注目する中でこの歌が披露され、その当意即妙の技巧の高さに皆驚嘆したという。

作者

伊勢大輔いせのたいふ(生没年未詳)

大中臣輔親おおなかとみのすけちかの娘。 大中臣おおなかとみ氏は、頼基よりもと能宣よしのぶ輔親すけちかと代々和歌を得意とする家柄であった。
上東門院 藤原彰子じょうとうもんいん ふじわらのしょうし(紫式部、和泉式部、赤染衛門なども従えていた)に仕え、高階成順たかしなのなりのぶと結婚。
1032年の『上東門院菊合』以降、たびたび歌合わせに出て活躍した。

晩年(1060年頃)は、出家して山里に暮らした。
『後拾遺集』以下の勅撰集に51首入集。

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島津 忠夫 (翻訳)
文庫: 317ページ
出版社: 角川書店; 新版 (1999/11)
言語: 日本語
商品パッケージの寸法: 15 x 10.6 x 1.4 cm
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