貫之が馬に乗りて、和泉の国におはしますなる、蟻通の明神の御前を、暗きに、え知らで通りければ、馬にはかに倒れて死にけり。いかなることにかと驚き思ひて、火の火影に見れば、神の鳥居の見えければ、
「いかなる神のおはしますぞ。」
と尋ねければ、
「これは、蟻通の明神と申して、物とがめいみじくせさせたまふ神なり。もし、乗りながらや通りたまへる。」
と人の言ひければ、
「いかにも、暗さに、神おはしますとも知らで、過ぎはべりにけり。いかがすべき。」
と、社の禰宜を呼びて問へば、その禰宜、ただにはあらぬさまなり。
「汝、われが前を馬に乗りながら通る。すべからくは、知らざれば許しつかはすべきなり。しかはあれど、和歌の道を極めたる人なり。その道をあらはして過ぎば、馬、さだめて立つことを得むか。これ、明神の御託宜なり。」
と言へり。貫之、たちまち水を浴みて、この歌を詠みて、紙に書きて、御社の柱に押しつけて、拝入りて、とばかりあるほどに、馬起きて身震ひをして、いななきて立てり。禰宜、
「許したまふ。」
とて、覚めにけりとぞ。
雨雲の たち重なれる 夜半なれば
神ありとほし 思ふべきかは
紀貫之が馬に乗って、和泉国にいらっしゃるという、蟻通の明神の御前を、暗かったので、気づくことが出来ずに通り過ぎたところ、馬が突然倒れて死んでしまった。どういうことであろうかと驚いて思って、松明の火で見たところ、神社の鳥居が見えたので、(貫之が)
「どんな神様がいらっしゃるのか。」
と尋ねたところ、
「これは、蟻通の明神と申して、とがめ立てをひどくなさる神だ。もしや、馬に乗ったまま通り過ぎなさってしまったのか。」
と人が言うので、(貫之が)
「いかにもそのとおりで、暗くて、神様がいらっしゃるとは知らずに、通り過ぎてしまいました。どうしたらよいか。」
と神社の禰宜を呼んで尋ねると、その禰宜はただならぬ(←明神が乗り移っているため)様子だ。
「お前は、私(←禰宜に明神が乗り移っている)の前を馬に乗ったまま通る。当然、知らなかったのだから許してやるべきだ。そうは言っても、(お前は)和歌の道を極めた人だ。その(和歌の)道を明らかにして通れば、馬は、きっと立つことが出来るだろう。これは、明神のお告げだ。」
と言った。貫之は、すぐに水を浴びて(=身を清めて)、この歌を詠んで、紙に書いて、お社の柱に貼り付けて、参拝して、しばらくすると、馬が起き上がって身震いをして、いなないて立った。禰宜は、
「(明神が)お許しなさる。」
と言って、(明神に乗り移られた状態から)覚めたということだ。
雨雲が 重なっている 真夜中だから
明神がいらっしゃるとは星も 思うことができようか
(いや、星ですら思うことはできない。)
「
雨雲の たち重なれる 夜半なれば
神ありとほし 思ふべきかは
四句に、明神の名前である「ありとほし」(蟻通)が詠み込まれています。