子曰、
「賢哉囘也。一箪食、一瓢飮、在陋巷。人不堪其憂。囘也不改其樂。賢哉囘也。 」
子游爲武城宰。子曰、
「女得人焉耳乎。」
曰、
「有澹臺滅明者。行不由徑。非公事、未嘗至於偃之室也。」
子貢問、
「師與商也孰賢乎。」
子曰、
「師也過。商也不及。」
曰、
「然則師愈與。」
子曰、
「過猶不及也。」
子の曰はく、
「賢なるかな回や。一箪の食、一瓢の飲、陋巷に在り。人は其の憂へに堪へず。回や其の楽しみを改めず。賢なるかな回や。」
と。
子游、武城の宰たり。子曰はく、
「女、人を得たるか。」
と。曰はく、
「澹台滅明なる者有り。行くに径に由らず。公事に非ざれば、未だ嘗て偃の室に至らざるなり。」
と。
子貢問ふ、
「師と商とは孰れか賢れる。」
と。子の曰はく、
「師や過ぎたり。商や及ばず。」
と。曰はく、
「然らば則ち師は愈れるか。」
と。子の曰はく、
「過ぎたるは猶ほ及ばざるがごとし。」
と。
孔子先生がおっしゃることには、
「偉いものだよ、顔回は。竹のわりご一杯のご飯と、ひさご(ひょうたん)を半分に割ったお椀一杯の飲み物で、狭い路地に暮らしている。他人ならそのつらさに堪えられないだろう。(そんな貧しい生活でも)顔回は自分の楽しみを改めない(=信条を曲げずに淡々と暮らしている)。偉いものだよ、顔回は。」
と。
子游が武城の宰となった。孔子先生がおっしゃることには、
「おまえは、良い人物を(部下として)得られたのか。」
と。(子游が)言うことには、
「澹台滅明という者がいます。歩くには近道をしません(=公正で、ずるをしません)。公務でなければ、私の部屋に来たこともありません。」
と。
子貢が尋ねて言うことには、
「子張と子夏の二人(※どちらも孔子の弟子)はどちらが優れていますか。」
と。孔子先生がおっしゃることには、
「子張は行き過ぎている。子夏は足りない。」
と。(子貢が)言うことには、
「そうであるならばつまり子張が優れているのですか。」
と。孔子先生がおっしゃることには、
「行き過ぎたのは、足りないのと同じようなものだ。(=どちらも中庸を得ていない。)」
古代中国で儒教創始期に書かれた「四書」(『大学』、『中庸』、『論語』、『孟子』)のひとつ。
孔子門下によって整理された、孔子(紀元前552-紀元前479)と弟子の言行録。
儒教は「仁(思いやり)」「義(利欲に囚われない)」「礼(習慣・上下関係)」「智(学問)」「信(誠実)」を重んじる教えだ。
『論語』には人間として守るべき至極当たり前なことが、淡々とオムニバス形式で書かれている。