二階の窓から

『論語』より
けんなるかなかいや、 行くにこみちらず、 過ぎたるはほ及ばざるがごとし

孔子こうし門下 編

白文 現代語訳 ノート

白文

賢哉囘也

 子曰、
「賢哉囘也。一箪食、一瓢飮、在陋巷。人不堪其憂。囘也不改其樂。賢哉囘也。 」

巻第3 雍也第6-11より

行不由徑

 子游爲武城宰。子曰、
「女得人焉耳乎。」
 曰、
「有澹臺滅明者。行不由徑。非公事、未嘗至於偃之室也。」

巻第3 雍也第6-14より

過猶不及

 子貢問、
「師與商也孰賢乎。」
 子曰、
「師也過。商也不及。」
 曰、
「然則師愈與。」
 子曰、
過猶不及也。」

巻第6 先進第11-16より

書き下し

賢なるかな回や

 子ののたまはく、
けんなるかなかいや。一たん、一ぴょういん陋巷ろうこうに在り。人は其の憂へに堪へず。回や其の楽しみを改めず。賢なるかな回や。」
 と。

行くにこみちらず

 子游しゆう、武城のさいたり。子曰はく、
なんじ、人を得たるか。」
 と。曰はく、
澹台滅明たんだいめつめいなる者有り。行くにこみちらず。公事にあらざれば、いまかつえんの室に至らざるなり。」
 と。

過ぎたるは猶ほ及ばざるがごとし

 子貢しこう問ふ、
しょうとはいづれかまされる。」
 と。子の曰はく、
「師や過ぎたり。商や及ばず。」
 と。曰はく、
しからばすなはち師はまされるか。」
 と。子の曰はく、
過ぎたるはほ及ばざるがごとし。」
 と。


現代語訳

偉いものだよ、顔回は

 孔子先生がおっしゃることには、
「偉いものだよ、顔回は。竹のわりご一杯のご飯と、ひさご(ひょうたん)を半分に割ったお椀一杯の飲み物で、狭い路地に暮らしている。他人ならそのつらさに堪えられないだろう。(そんな貧しい生活でも)顔回は自分の楽しみを改めない(=信条を曲げずに淡々と暮らしている)。偉いものだよ、顔回は。」
 と。

歩くのに近道をとらない

 子游が武城の宰となった。孔子先生がおっしゃることには、
「おまえは、良い人物を(部下として)得られたのか。」
 と。(子游が)言うことには、
澹台滅明たんだいめつめいという者がいます。歩くには近道をしません(=公正で、ずるをしません)。公務でなければ、私の部屋に来たこともありません。」
 と。

行き過ぎたのは、足りないのと同じようなもの

 子貢が尋ねて言うことには、
子張しちょう子夏しかの二人(※どちらも孔子の弟子)はどちらが優れていますか。」
 と。孔子先生がおっしゃることには、
「子張は行き過ぎている。子夏は足りない。」
 と。(子貢が)言うことには、
「そうであるならばつまり子張が優れているのですか。」
 と。孔子先生がおっしゃることには、
「行き過ぎたのは、足りないのと同じようなものだ。(=どちらも中庸を得ていない。)」


作品

論語ろんご

古代中国で儒教創始期に書かれた「四書」(『大学』、『中庸』、『論語』、『孟子』)のひとつ。
孔子門下によって整理された、孔子(紀元前552-紀元前479)と弟子の言行録。

儒教は「仁(思いやり)」「義(利欲に囚われない)」「礼(習慣・上下関係)」「智(学問)」「信(誠実)」を重んじる教えだ。
『論語』には人間として守るべき至極当たり前なことが、淡々とオムニバス形式で書かれている。

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金谷 治 (訳注)
文庫: 406ページ
出版社: 岩波書店 改版(1999/11/16)

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