二階の窓から

『大和物語』より
姨捨をばすて

作者未詳

原文 現代語訳 ノート

原文

 信濃しなのの国に更級さらしなといふ所に、男住みけり。若きときに親は死にければ、をばなむ親のごとくに、若くより添ひてあるに、このの心、憂きこと多くて、このしうとめの、老いかがまりてゐたるを常に憎みつつ、男にも、このをばの御心みこころのさがなくしきことを言ひ聞かせれけば、昔のごとくにもあらず、おろかなること多く、このをばのためになりゆきけり。

 このをば、いといたう老いて、二重ふたへにてゐたり。これをなほ、この嫁、ところせがりて、今まで死なぬことと思ひて、よからぬことをいひつつ、
「持ていまして、深き山に捨てたうびてよ。」
 とのみ責めければ、責められわびて、さしてむと思ひなりぬ。

 月のいと明かき夜、
おうなども、いざ給へ。寺に尊きわざすなる、見せたてまつらむ。」
 と言ひければ、限りなく喜びて負はれにけり。高き山のふもとに住みければ、その山にはるばると入りて、高き山の峰の、べくもあらぬに、置きて逃げて来ぬ。
「やや。」
 と言へど、いらへもせで、逃げて家に来て思ひをるに、いひ腹立てけるをりは、腹立ちてかくしつれど、年ごろ親のごと養ひつつあひ添ひにければ、いと悲しくおぼえけり。この山の上より、月もいと限りなくかくでたるを眺めて、夜ひと夜、も寝られず、悲しうおぼえければ、かく詠みたりける。

わが心 慰めかねつ 更級や
姨捨山に 照る月を見て

 と詠みてなむ、また行きて迎へもて来にける。それより後なむ、姨捨山といひける。慰め難しとは、これが由になむありける。


現代語訳

 信濃の国(現在の長野県)の更級というところに、男が住んでいた。若いときに親は死んでしまったので、おばが親のように、(男が)若いときから世話をしていたが、この(男の)妻の心は、困ったところが多くて、このしゅうとめ(=おば)が、年をとって(腰が)腰が曲がっているのをいつも憎みながら、男にも、このおばのお心が不愉快で良くないことを言って聞かせたので、(男は)昔のようには接することもなく、このおばに対して疎かなことが多くなっていった。

 このおばは、たいそうひどく老いて、(腰が)二重になって(=折れ曲がって)いる。このことをやはり、この嫁は、うっとうしがって、今までよくも死なないことだと思って、(おばの)悪口を言っては、
「(あのおばさんを)連れて行きなさって、深い山奥に捨てていらっしゃってよ。」
 とばかり責め立てたので、(男は)責められるのに困って、そうしてしまおうと思うようになった。

 月がとても明るい夜、(男は)
「お婆さんや、さていらっしゃい。お寺でありがたい法要をするらしいから、お見せ申し上げましょう。」
 と言ったので、(おばは)この上なく喜んで背負われた。(男たちは)高い山の麓に住んでいたので、その山へ遙々と入って、高い山の峰の、降りて来ようもないところ(=山奥)に、(男はおばを)置いて逃げてきた。(おばは、)
「おい、ちょっと。」
 と言うけれど、(男は)答えもしないで、逃げて家に帰ってきていろいろ考えているところ、(妻がおばの悪口を)言って(自分の)腹を立てさせたときは、(妻の思惑通り、自分が)腹が立ってこのようにしてしまったけれど、長年親のように養いながら一緒に暮らしてきたのだから、とても悲しく思われた。この山の上から、月もとてもたいそう明るく出てきたのを眺めて、ひと晩中、寝ても寝られず、悲しく思われたので、このように詠んだ。

私の心を 慰めることができない 更級よ
姨捨山に 照る月を見ていると

 と詠んで、また(山の上に)言って迎えて連れてきた。それから後は、(その山を)姥捨山というようになった。(姥捨山のことを)慰めがたいというのは、これが由来であることだよ。


作品

大和物語やまとものがたり 第156段より。

作者は未詳。951年頃の成立。歌を中心にした物語集だ。
全173段。140段までは宇多天皇など、宮中に集まる貴族の話が中心。141段以降は古い民間伝説がまとめられている。

『伊勢物語』(第1段は「☞ 初冠」)の影響が強く見られるが、『伊勢物語』は主人公がいるのに対して、この『大和物語』はいろいろな人が主人公として登場するオムニバス形式だ。

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桑原博史 (著)
単行本: 185ページ
出版社: 三省堂 (1990/8/1)
言語: 日本語

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