子謂顔淵曰、
「用之則行、舎之則藏。唯我與爾有是夫。」
子路曰、
「子行三軍、則誰與。」
子曰、
「暴虎馮河、死而無悔者、吾不與也。必也臨事而懼、好謀而成者也。」
子路問、
「聞斯行諸。」
子曰、
「有父兄在、如之何其聞斯行之也。」
冉有問、
「聞斯行諸。」
子曰、
「聞斯行之。」
公西華曰、
「由也問、『聞斯行諸。』子曰、『有父兄在。』求也問、『聞斯行諸。』子曰、『聞斯行之。』赤也惑。敢問。」
子曰、
「求也退、故進之。由也兼人、故退之。」
子 顔淵に謂ひて曰はく、
「之を用ゐば則ち行ひ、之を舎てば則ち蔵る。唯だ我と爾と是有るかな。」
と。 子路曰はく、
「子 三軍を行らば、則ち誰と与にせん。」
と。 子曰はく、
「暴虎馮河、死して悔ゆること無き者は、我は与にせざるなり。必ずや事に臨みて懼れ、謀を好みて成す者なり。」
と。
子路問ふ、
「聞くがままに斯ち諸を行はんか。」
と。 子曰はく、
「父兄の在す有り、之を如何ぞ其れ聞くがままに斯ち之を行はん。」
と。 冉有問ふ、
「聞くがままに斯ち諸を行はんか。」
と。 子曰はく、
「聞くがままに斯ち之を行へ。」
と。 公西華曰はく、
「由や問ふ、『聞くがままに斯ち諸を行はんか。』と。子曰はく、『父兄の在す有り』と。求や問ふ、『聞くがままに斯ち諸を行はんか。』と。子曰はく、『聞くがままに斯ち之を行へ。』と。赤や惑ふ。敢えて問ふ。」
と。 子曰はく、
「求や退く、故に之を進めたり。由や人を兼ぬ、故に之を退けたり。」
と。
孔子先生が顔淵に向かっておっしゃったことには、
「自分を認めて用いてくれる(主君がいる)なら手腕をふるうが、自分を解雇するなら身を潜める。これ(=才能ある者の正しい身の処し方)ができるのは私とおまえだけぐらいだな。」
と。 (そばにいた)子路が(孔子に褒められた顔淵を妬んで、自分もと思って)言うことには、
「孔子先生は大軍を率いるとしたら、誰と一緒にしますか。(武勇のある私を用いてくれるのですよね。)」
と。 孔子先生がおっしゃることには、
「虎を素手で打って黄河を徒歩で渡ろうとする無鉄砲な、死んでも後悔しない者(=子路のこと)とは、私は一緒に行動しない。(行動するなら、)事に当たって慎重で、計画を練るのを好んで成し遂げる人物とだ。」
と。
子路が尋ねて言うことには、
「聞いたらそのまますぐに実行するべきでしょうか。」
と。 孔子先生がおっしゃることには、
「父兄がいるだろう(まずは父兄に相談しなさい)、どうして聞いてすぐにそれを行えるだろうか。(いや、行えない。)」
と。
冉有が尋ねて言うことには、
「聞いたらそのまますぐに実行するべきでしょうか。」
と。 孔子先生がおっしゃることには、
「聞いたらそのまますぐに実行しなさい。」
と。
公西華が言うことには、
「由(子路の名)が『聞いたらそのまますぐに実行するべきでしょうか』とお尋ねしたとき、先生は『父兄がいるだろう』とお答えになりました。求(冉有の名)が同じことをお尋ねしたとき、先生は『そのまま実行しなさい』とおっしゃいました。赤(公西華の名)は迷います。恐れ入りますがお尋ねします。」
と。 孔子先生がおっしゃることには、
「求は引っ込み思案だから、実行するように進めたのだよ。由は人に気兼ねしないから、おさえたのだ。」
と。
古代中国で儒教創始期に書かれた「四書」(『大学』、『中庸』、『論語』、『孟子』)のひとつ。
孔子門下によって整理された、孔子(紀元前552-紀元前479)と弟子の言行録。
儒教は「仁(思いやり)」「義(利欲に囚われない)」「礼(習慣・上下関係)」「智(学問)」「信(誠実)」を重んじる教えだ。
『論語』には人間として守るべき至極当たり前なことが、淡々とオムニバス形式で書かれている。
字は仲、名は由。 魯国出身。武勇を好み、率直すぎる性格が度々話題として登場する。
ずばりと素朴な疑問を投げかけることが多く、その度に孔子は子路を正しい考えに導いていく。『論語』で登場回数ナンバーワンの弟子だ。
中島敦の小説『弟子(Amazonのページに飛びます)』では、孔子が子路に手を焼きながらも、手をかけて育てていく様子が描かれている。孔子と子路の関係がよくわかり、小説としても面白いのでおすすめです。