名前を聞くとすぐに、ただちにその人の顔つきが推し量られる気持ちがするのに、(実際に)会ってみるときには、前々から思っていたとおりの顔をしている人はいないものだ。昔の物語を聞いても、近頃の人の家の、そのあたりであったのだろうかと思われ、(物語の中の)人も、今見る人の中に思い合わせられるのは、誰もがこのように思うのだろうか。
また、どのような折であったか、今の人が言うことも、目に見える物も、自分の心のうちも、このようなことがいつだったかあったんじゃないかと思われて、いつとは思い出せないけれど、確かにあった気持ちがするのは、私だけがこのように思うのだろうか。
『徒然草』より
兼好法師(俗名:卜部兼好)の作。成立は鎌倉時代末期(1330年ごろ)。
「つれづれなるままに〜」という冒頭からはじまることが書名の由来。住居、人生、情趣、芸能などについて論じた随筆。
名前を聞いて顔を想像しても、会ってみると違うことが多い。
一方で、昔語りを聞くと、その登場人物が身近な人と思い合わせられることがある。
いろんな物を見たり聞いたりすると、既視感を感じることがあるよね。