二階の窓から

『史記』より 鴻門こうもんの会
沛公はいこう 項王こうおうまみ

司馬しばせん

白文 現代語訳 ノート
状況
豆知識

 時は紀元前207年のこと。
 楚の懐王は、秦を倒すため、諸将に『関中かんちゅうを最初に平定した者を関中の王とする』と約束して攻めさせた。
 沛公(当時の沛の県令=劉邦)は南から進軍し、項王(項羽)は東から進軍した。

 先に関中の咸陽に入ることができた沛公は、「このまま関を閉ざして項羽を入れなければ、関中の王となれますぞ」という進言を受けて、関を閉ざしてしまった。
 いっぽう項王は、「沛公は関中の王位を狙い、関中の宝を独り占めにしようとしていますぞ」という讒言を聞き激怒。

 沛公の軍勢は10万で、項王の軍勢40万に比べて劣勢であった。
 沛公はなんとか事を収めようと、項王に謁見しに行くのだが……。

白文

 沛公旦日従百余騎、来見項王、至鴻門、謝曰、
「臣与将軍勠力而攻秦。将軍戦河北、臣戦河南。然不自意、能先入関破秦、得復見将軍於此。今者有小人之言、令将軍与臣有郤。」
 項王曰、
「此沛公左司馬曹無傷言之。不然、籍何以至此。」

 項王即日、因留沛公与飲。項王・項伯東嚮坐、亜父南嚮坐。亜父者、范増也。沛公北嚮坐、張良西嚮侍。
 范増数目項王、挙所佩玉玦、以示之者三。項王黙然不応。

 范増起、出召項荘、謂曰、
「君王為人不忍。若入前為寿。寿畢、請以剣舞、因撃沛公於坐殺之。不者、若属皆且為所虜。」

 荘則入為寿。寿畢曰、
「君王与沛公飲。軍中無以為楽。請以剣舞。」
 項王曰、
「諾。」
 項荘抜剣起舞。項伯亦抜剣起舞、常以身翼蔽沛公。荘不得撃。


書き下し

 沛公はいこう旦日たんじつ百余騎ひゃくよきを従へ、来たりて項王こうおうまみえんとし、鴻門こうもんに至り、しゃして曰はく、
しん、将軍と力をあわせてしんむ。将軍は河北かほくたたかひ、臣は河南かなんに戦ふ。しかれどもみずかおもはざりき、かんりて秦を破り、た将軍ここまみゆることを得んとは。今者いま小人しょうじんの言有り、将軍をして臣とげき有らしむ。」
 と。項王曰はく、
れ沛公の左司馬さしば曹無傷そうむしょうこれを言ふ。しからずんば、せき何をもつここに至らん。」
 と。

 項王即日そくじつりて沛公をとどめてともいんす。項王・項伯こうはく東嚮とうきょうしてし、亜父あほ南嚮なんきょうして坐す。亜父とは、范増はんぞうなり。沛公北嚮ほっきょうして坐し、張良ちょうりょう西嚮せいきょうしてす。
 范増しばしば項王にもくし、ぶる所の玉玦ぎょくけつげて、以て之に示すことたびす。項王黙然もくぜんとして応ぜず。

 范増ち、でて項荘こうそうを召し、ひて曰はく、
君王くんのう人と為り忍びず。なんじすすみて寿じゅせ。寿はらば、剣を以て舞はんことをひ、因りて沛公を坐にちて之を殺せ。不者しからずんば、なんじぞくまさとりことする所と為らんとす。」
 と。

 そうすなはりて寿を為す。寿はりて曰はく、
君王くんのう沛公と飲す。軍中以て楽しみを為すこと無し。請ふ剣を以て舞はん。」
 と。項王曰はく、
だく。」
 と。項荘剣を抜きちて舞ふ。項伯もた剣を抜きちて舞ひ、常に身を以て沛公を翼蔽よくへいす。荘撃つことを得ず。


現代語訳

 沛公はいこう(劉邦)は、翌朝早くに百騎あまりを引き連れて、やって来て項王(項羽)に面会しようとして、鴻門に到着し、謝って言うことには、
「私は、将軍と力をあわせて秦を攻めました。将軍は黄河の北方で戦い、私は黄河の南で戦いました。しかし、自分でも思っていなかったことに、私が先に関中に攻め入って秦を破ることができてしまい、またここで将軍とお会いできようとは。今、つまらない者の讒言があり、将軍と私の間に仲違いをさせようとしているのです。」
 と。項王が言うことには、
「これ(=讒言)は、沛公の軍官・曹無傷そうむしょうが言ったのだ。そうでなければ、私はどうしてこのような考え(激怒して沛公を撃とうとしたこと)に至ったであろうか。」
 と。

 項王はその日、沛公を引き留めていっしょに酒宴を開くことにした。項王と項伯は東を向いて座り、亜父あほは南を向いて座った。亜父とは、范増はんぞうのことだ。沛公は北を向いて座り、張良ちょうりょうは西を向いて(沛公の近くに)従って座った。
 范増は(沛公を暗殺するチャンスだと)項王に目配せを送り、三度も腰につけた玉玦ぎょくけつを掲げて示した。しかし、項王は黙ったまま応じなかった。

 范増は(このままでは駄目だと思い)立ち上がって、会場を出て項荘こうそうを呼び出し、言ったことには、
「我が主君(=項羽)は情にもろいお人柄だ。お前が宴会場に入って杯をすすめて健康の祈願をしろ。祈願が終わったら、剣の舞をすることを申し出て、それで沛公をその席で斬り殺せ。さもなければ、お前の仲間はとらわれの身になることになるぞ。」
 と。

 というわけで荘は入っていって、祈願の杯をあげた。祈願が終わって言うことには、
「主君は沛公と酒宴を開いていらっしゃるが、軍中なのでお楽しみも無いでしょう。私に剣の舞をさせてください。」
 と。項王が言うことには、
「良いぞ。」
 と。項荘は剣を抜いて立ち上がり舞った。すると項伯も剣を抜いて立ち上がり舞い、いつも自分の体で沛公をかばって守った。荘は(沛公を)斬ることができなかった。


作品

史記しき』より。

前漢 紀元前91年頃、司馬しばせんによって編纂された歴史書。

国や人にフォーカスしながら書いていく、紀伝体きでんたいでの記述。
(⇔年代順に記述する編年体へんねんたい。)


ノ-ト

ぶる所の玉玦ぎょくけつる」とは?

玉玦ぎょくけつ」というのは、輪の形をした飾りで、一部に切れ目が入っている。
ケツ」の音から、「決心」を促していることを暗に意味している。

『ここが沛公を殺す絶好の機会です!』と、范増は項王に決断を迫っているのである。

項羽が劉邦暗殺を決断しなかった理由

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単行本: 190ページ
出版社: 幻冬舎
ISBN-10: 4344902076
ISBN-13: 978-4344902077
発売日: 2011/1/1

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