時は紀元前207年のこと。
楚の懐王は、秦を倒すため、諸将に『関中を最初に平定した者を関中の王とする』と約束して攻めさせた。
沛公(当時の沛の県令=劉邦)は南から進軍し、項王(項羽)は東から進軍した。
先に関中の咸陽に入ることができた沛公は、「このまま関を閉ざして項羽を入れなければ、関中の王となれますぞ」という進言を受けて、関を閉ざしてしまった。
いっぽう項王は、「沛公は関中の王位を狙い、関中の宝を独り占めにしようとしていますぞ」という讒言を聞き激怒。
沛公の軍勢は10万で、項王の軍勢40万に比べて劣勢であった。
沛公はなんとか事を収めようと、項王に謁見しに行くのだが……。
沛公旦日従百余騎、来見項王、至鴻門、謝曰、
「臣与将軍勠力而攻秦。将軍戦河北、臣戦河南。然不自意、能先入関破秦、得復見将軍於此。今者有小人之言、令将軍与臣有郤。」
項王曰、
「此沛公左司馬曹無傷言之。不然、籍何以至此。」
項王即日、因留沛公与飲。項王・項伯東嚮坐、亜父南嚮坐。亜父者、范増也。沛公北嚮坐、張良西嚮侍。
范増数目項王、挙所佩玉玦、以示之者三。項王黙然不応。
范増起、出召項荘、謂曰、
「君王為人不忍。若入前為寿。寿畢、請以剣舞、因撃沛公於坐殺之。不者、若属皆且為所虜。」
荘則入為寿。寿畢曰、
「君王与沛公飲。軍中無以為楽。請以剣舞。」
項王曰、
「諾。」
項荘抜剣起舞。項伯亦抜剣起舞、常以身翼蔽沛公。荘不得撃。
沛公旦日百余騎を従へ、来たりて項王に見えんとし、鴻門に至り、謝して曰はく、
「臣、将軍と力を勠せて秦を攻む。将軍は河北に戦ひ、臣は河南に戦ふ。然れども自ら意はざりき、能く先づ関に入りて秦を破り、復た将軍此に見ゆることを得んとは。今者小人の言有り、将軍をして臣と郤有らしむ。」
と。項王曰はく、
「此れ沛公の左司馬曹無傷之を言ふ。然らずんば、籍何を以て此に至らん。」
と。
項王即日、因りて沛公を留めて与に飲す。項王・項伯、東嚮して坐し、亜父南嚮して坐す。亜父とは、范増なり。沛公北嚮して坐し、張良西嚮して侍す。
范増数項王に目し、佩ぶる所の玉玦を挙げて、以て之に示す者三たびす。項王黙然として応ぜず。
范増起ち、出でて項荘を召し、謂ひて曰はく、
「君王人と為り忍びず。若入り前みて寿を為せ。寿畢はらば、剣を以て舞はんことを請ひ、因りて沛公を坐に撃ちて之を殺せ。不者んば、若が族皆且に虜とする所と為らんとす。」
と。
荘則ち入りて寿を為す。寿畢はりて曰はく、
「君王沛公と飲す。軍中以て楽しみを為すこと無し。請ふ剣を以て舞はん。」
と。項王曰はく、
「諾。」
と。項荘剣を抜き起ちて舞ふ。項伯も亦た剣を抜き起ちて舞ひ、常に身を以て沛公を翼蔽す。荘撃つことを得ず。
沛公(劉邦)は、翌朝早くに百騎あまりを引き連れて、やって来て項王(項羽)に面会しようとして、鴻門に到着し、謝って言うことには、
「私は、将軍と力をあわせて秦を攻めました。将軍は黄河の北方で戦い、私は黄河の南で戦いました。しかし、自分でも思っていなかったことに、私が先に関中に攻め入って秦を破ることができてしまい、またここで将軍とお会いできようとは。今、つまらない者の讒言があり、将軍と私の間に仲違いをさせようとしているのです。」
と。項王が言うことには、
「これ(=讒言)は、沛公の軍官・曹無傷が言ったのだ。そうでなければ、私はどうしてこのような考え(激怒して沛公を撃とうとしたこと)に至ったであろうか。」
と。
項王はその日、沛公を引き留めていっしょに酒宴を開くことにした。項王と項伯は東を向いて座り、亜父は南を向いて座った。亜父とは、范増のことだ。沛公は北を向いて座り、張良は西を向いて(沛公の近くに)従って座った。
范増は(沛公を暗殺するチャンスだと)項王に目配せを送り、三度も腰につけた玉玦を掲げて示した。しかし、項王は黙ったまま応じなかった。
范増は(このままでは駄目だと思い)立ち上がって、会場を出て項荘を呼び出し、言ったことには、
「我が主君(=項羽)は情にもろいお人柄だ。お前が宴会場に入って杯をすすめて健康の祈願をしろ。祈願が終わったら、剣の舞をすることを申し出て、それで沛公をその席で斬り殺せ。さもなければ、お前の仲間はとらわれの身になることになるぞ。」
と。
というわけで荘は入っていって、祈願の杯をあげた。祈願が終わって言うことには、
「主君は沛公と酒宴を開いていらっしゃるが、軍中なのでお楽しみも無いでしょう。私に剣の舞をさせてください。」
と。項王が言うことには、
「良いぞ。」
と。項荘は剣を抜いて立ち上がり舞った。すると項伯も剣を抜いて立ち上がり舞い、いつも自分の体で沛公をかばって守った。荘は(沛公を)斬ることができなかった。
『史記』より。
前漢 紀元前91年頃、司馬遷によって編纂された歴史書。
国や人にフォーカスしながら書いていく、紀伝体での記述。
(⇔年代順に記述する編年体。)
「玉玦」というのは、輪の形をした飾りで、一部に切れ目が入っている。
「ケツ」の音から、「決心」を促していることを暗に意味している。
『ここが沛公を殺す絶好の機会です!』と、范増は項王に決断を迫っているのである。