二階の窓から

『荀子』より
人の性は悪なり

荀子じゅんし

白文 現代語訳 ノート

白文

 人之性悪、其善者也。
 今人之性、生而有好利焉。順是、故争奪生、而辞譲亡焉。
 生而有疾悪焉。順是、故残賊生、而忠信亡焉。
 生而有耳目之欲、有好声色焉。順是、故淫乱生、而礼義文理亡焉。

 然則従人之性、順人之情、必出於争奪、合於犯文乱理、而帰於暴。 故必将有師法之化、礼義之道、然後出於辞譲、合於文理、而帰於治。 用此観之、然則人之性悪明矣。 其善者偽也。


書き下し

 人のせいは悪なり、其のぜんなる者はなり。
 今 人の性、生まれながらにして利を好むこと有り。 これしたがふ、故に争奪そうだつ生じて辞譲じじょうほろぶ。
 生まれながらにして疾悪しつおすること有り。 是に順ふ、故に残賊ざんぞく生じて忠信ちゅうしん亡ぶ。
 生まれながらにして、耳目じもくの欲有り、声色せいしょく好むこと有り。是に順ふ、故に淫乱いんらん生じて礼儀れいぎ文理ぶんり亡ぶ。

 しからばすなはち人の性に従ひ、人の情にしたがへば、必ず争奪にで、犯文はんぶん乱理らんりがっして、ぼうに帰す。ゆえに必ずまさ師法しほう、礼儀の道有りて、然る後に辞譲じじょうで、文理に合してに帰せんとす。これもっこれを観れば、然らば則ち人の性は悪なること明らかなり。其の善なるはなり。


現代語訳

 人の本性は悪であり、善人は人為的な努力によるものだ。
 今、人の本性は、生まれながらに利益を好む心がある。これに従うから、奪い合いが生じて譲り合いの心が無くなる。
 生まれながらに憎む心がある。これに従うから、(他人を)傷つけて損なう心が生じてまっすぐな真心が無くなる。
 生まれながらにして耳や目で良いものを見聞きしたい心がある。これに従うから、道に外れた行いが生じて社会の規範や秩序が崩れてしまう。

 そういうわけで、人の本性に従って、感情のままに行動すると、必ず奪い合いが生じて、秩序を乱すようになって、混乱した状態になる。だから、必ず指導者の教えと礼儀による導きが必要になり、そうすると(導きと教えがあると)譲り合いの心が生まれ、秩序が生まれて世の中がうまく治まる。こうして考えると、やはり人の本性が悪であることは明らかだ。善人であることは人為的な努力の賜物だ。


作品

荀子じゅんし

『荀子』は、荀子(紀元前313-紀元前238?)の思想をまとめた書物だ。
劉向(『戦国策』の作者でもある)が『孫卿新書』としてまとめたものが、さらに整理されて現在の『荀子』となったようだ。

ノート

「其のぜんなる者はなり」とは?

善人は「偽」である、というのがこの文の主題だ。
「偽」というのは現代では「いつわり」「にせもの」という意味になるが、漢字をそのまま分解すると「人」+「為」と分解できる。この通り、「人為的」という意味。
師の導きや教育などの人為的な努力によって善人であることができる、ということ。

性悪説

荀子の思想の根底は性悪説せいあくせつと呼ばれている。
人間の本性は利己的だから、学問で正していかないといけないという考え方だ。 韓非かんぴなどの法家ほうか思想(☞『韓非子』 侵官之害を読んでみよう)とも密接な繋がりがある。

対照的な考えは、孟子の性善説せいぜんせつ。 こちらは人は生まれながらに善であるという説である。時として悪いことをするのは、周りの良くない影響のせい、だという。(参考:☞『孟子』 人に忍びざるの心

性悪説も性善説も、「教育が重要である」という点では一致している点を理解しておこう。

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