仁斎、家故赤貧。歳暮不能買糯餈、亦曠然不以為意。
妻跽進曰、
「家道育鞠、妾未嘗為不堪。而独其不可忍者、孺子原蔵未解貧為何物、羨人家有餈連求不已。妾雖口能譙呵之、腸為断絶。」
言訖泣下。
仁斎隠几閲書、一言不為之答。直卸其所著外套以授妻。
仁斎、家故赤貧なり。歳暮に糯餈を買ふこと能はざるも、亦た曠然として以て意と為さず。
妻跽き進みて曰はく、
「家道の育鞠、妾未だ嘗て堪へずと為さず。而れども独り其の忍ぶべからざる者は、孺子原蔵未だ貧の何物たるかを解せず、人の家に餈有るを羨み、連りに求めて已まず。妾口能く之を譙呵すと雖も、腸為に断絶す。」
と。言訖はりて泣下る。
仁斎几に隠りて書を閲し、一言も 之が答へを為さず。直ちに其の著る所の外套を卸ぎて以て妻に授く。
伊藤仁斎は、もともとは家がたいへん貧しかった。年の暮れに餅を買うこともできなかったが、くよくよせず気にしていなかった。
妻がひざまずいて進み出て言うことには、
「家事や育児については、私は今まで一度も耐えられないと思ったことはありません。しかし一つだけ我慢できないことは、小さな我が子 原蔵が、貧乏とは何なのかわからずに、人の家に餅があるのを羨んで、しきりに欲しいと言って聞かない(ことです)。私はこれを叱る言葉を言えていますが、はらわたが千切られるようなつらさです。」
と。(妻は)言い終わってから涙を落とした。
仁斎は机に寄りかかって本を読んでいて、一言も言葉を発しなかった。ただすぐに、着ていた上着を妻にかけた。
『先哲叢談』正編 より。
1816年、原念斎(1774~1820)の編。
江戸時代初期から中期までの儒学者の、漢文での伝記集。