二階の窓から

更級日記さらしなにっき』より
源氏の五十余巻ごじゅうよまき

菅原孝標すがはらたかすゑむすめ

原文 現代語訳 ノート
状況
豆知識

 作者の菅原孝標女は、『源氏物語』に憧れながら上京したばかりの少女である。

 その作者が14歳のとき。
 かつて一緒に暮らしていて物語のことを教えてくれた継母と生き別れになり、育ての親である乳母と死別してしまう。さらに憧れていた侍従の大納言の御女の訃報にも接する。
 あまりに悲しいことが続き、人生のはかなさを突きつけられている状況だった。 

原文

 かくのみ思ひくんじたるを、心も慰めむと、心苦しがりて、母、物語などもとめて見せ給ふに、げにおのづから慰みゆく。紫のゆかりを見て、続きの見まほしくおぼゆれど、人語らひなどもえせず、誰もいまだ都なれぬほどにて、え見つけず。いみじく心もとなく、ゆかしくおぼゆるままに、
 「この源氏の物語、一の巻よりしてみな見せ給へ。」
 と、心のうちに祈る。親の太秦うずまさにこもり給へるにも、ことごとなくこのことを申して、
 「出でむままにこの物語見果てむ。」
 と思へど見えず。いと口惜しく思ひ嘆かるるに、をばなる人の田舎より上りたる所に渡いたれば、
 「いとうつくしう生ひなりにけり。」
 など、あはれがり、めづらしがりて、帰るに、
 「何をかたてまつらむ。まめまめしき物は、まさなかりなむ。ゆかしくし給ふなるものをたてまつらむ。」
とて、源氏の五十余巻、櫃に入りながら、在中将、とほぎみ、せり河、しらら、あさうづなどいふ物語ども、一袋とり入れて、得て帰る心地のうれしさぞいみじきや。

 はしるはしる、わづかに見つつ、心も得ず心もとなく思ふ源氏を、一の巻よりして、人も交じらず、几帳の内にうち伏して、引き出でつつ見る心地、后の位も何にかはせむ。昼は日ぐらし、夜は目の覚めたる限り、灯を近くともして、これを見るよりほかのことなければ、おのづからなどは、そらにおぼえ浮かぶを、いみじきことに思ふに、夢に、いと清げなる僧の、黄なる地の袈裟着たるが来て、
 「法華経五の巻をとく習へ。」
 と言ふと見れど、人にも語らず、習はむとも思ひかけず、物語のことをのみ心にしめて、
 「我はこのごろわろきぞかし。盛りにならば、容貌かたちも限りなくよく、髪もいみじく長くなりなむ。光の源氏の夕顔、宇治の大将の浮舟の女君のやうにこそあらめ。」
 と思ひける心、まづいとはかなくあさまし。


現代語訳

 こんなふうに物思いにふさぎ込んでいるのを、(私の)心をも慰めようと、心配して、母が、物語などを探し求めてお見せしてくれるので、なるほど自然と心が慰められてゆく。紫(=『源氏物語』の紫の上 のこと)に関係のある話を読んで、続きが読みたいと思われるけれど、(続きが欲しいと)人に話すこともできず、誰もまだ都になれていない状況なので、見つけ出すことができない。とてももどがしく、(それでもどうにかして)読みたいと思われるので、
 「この『源氏物語』を、一巻からすべてお見せください。」
 と、心の中で祈る。親が太秦(の広隆寺)に籠りなさるときも、他のことは祈らずこのことをお願い申し上げて、
 「(寺を)出たらすぐにこの物語を全部読んでしまおう。」
 と思っていたけれど見ることができない。たいへん残念に思い嘆かわしい気持ちになっているところ、叔母にあたる人が田舎から上京してきて住んでいる所に(親が)連れて行ってくれたところ、
 「とてもかわいらしく成長したことだ。」
 などと、かわいがり、珍しがって、(私が)帰るときに、
 「何を差し上げようか。実用的なものは、適当ではないだろう。欲しいと思っていらっしゃるものを差し上げよう。」
 といって、『源氏物語』の五十余巻を、お櫃に入ったまま、(さらに五十余巻の他に)『在中将』(これは『伊勢物語』)、『とほぎみ』、『せり河』、『しらら』、『あさうづ』などといった物語も、一袋に入れてくださり、入手して帰る気持ちの嬉しさといったらたいへんなものだよ。

 わくわくして、(これまで)少しずつ見ていたがわけもわからないでもどかしく思っていた『源氏物語』を、1巻から、人に邪魔をされず(一人で)、几帳の中でくつろいで、引き出しては読む気持ちは、皇后の地位も(この嬉しさに比べたら)何になろう(この嬉しさに勝るものなど無い)。昼間は一日中、夜は目が覚めている限り、明かりを近くにつけて、これ(=『源氏物語』)を読む以外のことはしないので、ふとしたときに頭の中に(『源氏物語』の文章が)暗記されて浮かんでくるのを、すばらしいことだと思うが、夢の中で、とても美しい僧で、黄色い地の袈裟を着たお方が来て、
 「法華経の第5巻を早く勉強しなさい。」
 というのを見たが、人にも話さず、勉強しようと思いにもかけず、源氏物語のことだけを心に考えて、
 「私は、今はまだ(器量が)よくないのだよ。年頃になったら、容貌も限りなく美しく、髪もたいそう長くなるだろう。光源氏の(愛人の)夕顔や、宇治の大将の(愛人の)浮き船の姫君のように、きっとなるだろう。」
 と思っていた心は、いやはや、実に浅はかであきれ果てることだ。


作品

更級日記さらしなにっき

 菅原孝標すがはらたかすゑむすめ 作の日記。西暦1060年頃の成立か。
 父の任地であった上総の国(現在の千葉県)で、「物語」にあこがれていた少女時代から始まり、上京し宮仕えをした経験を経て晩年に至るまで、西暦1020年〜1059年頃の、約40年を綴った日記。

 物語好きの姉・継母に囲まれて、「物語」にどっぷりハマってしまった片田舎のオタク女子が、憧れの京都というきらびやかな都で宮仕えをして揉まれ…というストーリーであると考えてもらうとわかりやすい。


ノート

豆知識
豆知識

法華経ほけきょう五の巻

作者が『源氏物語』に首ったけになり、寝る間も惜しんで読んでいたときに、突如夢に現れるお坊さん。夢の中で、法華経を勉強しなさい……などと言ってきます。

「夢にお経? なぜそんな脈絡のないものが突然?」
と思うかもしれませんが、これは当時の文化を考えると、先の伏線になっているのです。

平安時代は信心がきわめて大事にされており、日々仏に対してお勤めをするものでした。
(作者も☞日記の冒頭「あこがれ」では、薬師如来像を彫って土下座してお祈りしたりしていましたね)
法華経の第5巻は「提婆達多品だいばだったぼん」といわれ、女性の成仏について書かれています。当時の女性にとっては、非常に大事にされている教えでした。
作者はこれを無視して、『源氏物語』に読み耽ります。

実はこの後に、作者は宮仕えが上手くいかず幻滅したり、夫を急に亡くしたりと様々な障害にぶつかっていき、最終的には阿弥陀信仰の世界に入っていきます。
夢に出てきたお坊さんは、作者の信仰心のなさを忠告し、将来を暗示する伏線なのです。

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原岡 文子 (翻訳)
文庫: 278ページ
出版社: 角川書店 (2003/12/25)

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