二階の窓から

『世説新語』より
長安ちょうあんの遠きに何如いかん

劉義慶りゅう ぎけい

白文 現代語訳 ノート

白文

 晋明帝数歳、坐元帝膝上。有人従長安来。元帝問洛下消息、潸然流涕。明帝問、
「何以致泣。」
 具以東渡意告之。因問明帝、
「汝意謂長安何如日遠。」
 答曰、
「日遠。不聞人従日辺来。居然可知。」
 元帝異之。

 明日集群臣宴会、告以此意、更重問之。乃答曰、
「日近。」
 元帝失色曰、
「爾何故異昨日之言邪。」
 答曰、
「挙目見日、不見長安。」


書き下し文

 しん明帝めいてい数歳にして元帝げんてい膝上しつじょうす。人の長安ちょうあんより来たる有り。元帝洛下らくか消息しょうそくを問ひて、潸然さんぜんとしてなみだを流す。明帝問ふ、
「何を以て泣くを致す。」と。
 つぶさに東渡とうとの意を以てこれに告ぐ。りて明帝に問ふ、
なんぢおもへらく長安は日の遠きに何如いかん。」と。
 答へて曰はく、
「日遠し。人の日辺じっぺんより来たるを聞かず。居然きょぜんとして知るべし。」と。
 元帝之をとす。

 明日みやうにち群臣を集めて宴会し、告ぐるに此の意を以てし、さらに重ねて之を問ふ。すなはち答へて曰はく、
「日近し。」と。
 元帝色を失ひて曰はく、
なんぢなんゆへ昨日さくじつげんに異なるか。」と。
 答へて曰はく、
「目をぐれば日を見るも、長安を見ず。」と。


現代語訳

 晋の明帝が数歳のとき、父の元帝の膝の上に座っていた。長安からの来客があった。元帝は洛陽(かつての都)の様子を尋ね、はらはらと涙を流した。明帝は尋ねた。
「(父上は)どうして泣いているのか。」と。
 (元帝は)王朝が東へと逃れてきた経緯を丁寧に教えてあげた。そして明帝に尋ねた。
「おまえは、長安は太陽とどちらが遠いと思うか。」と。
 (明帝は)答えて言うことには、
「太陽の方が遠い。人が太陽からやって来たという話を聞かない。はっきりと分かることだよ。」と。
 元帝は、我が子の推察力がただならないものだと感じた。

 次の日、(元帝は)群臣を集めて宴会を開き、この話を皆に披露し、(明帝に)もう一度同じ質問をした。すると明帝が答えて言うことには、
「太陽の方が近い。」と。
 元帝は青ざめて言った。
「おまえ、どうして昨日の答えと違うんだ。」と。
 (明帝が)答えて言うことには、
「見上げると太陽が見えるけれど、長安はどこには見えないから。」と。


出典

世説新語せせつしんご』より。
444年頃、劉義慶りゅう ぎけいの作。
後漢から東晋までの著名人の逸話を集めて編纂した寓話集。


ノート

東渡とうとについて

西晋せいしん王朝(265〜316)は、北方の異民族(匈奴きょうどなど)の侵略を受けて、滅亡してしまった。
晋王室最後の生き残りだった司馬睿しばえいは東へ逃れ、建康けんこう(現在の南京市)を都として東晋を建国した。これが本文中で言う「東渡とうと」だ。
初代皇帝は司馬睿(元帝)で、明帝はその子。二代皇帝となった。

元帝失色」(元帝が青ざめた)理由

我が子、明帝の頭の良さを自慢できなくなってしまったから。
昨日は長安と太陽の距離について理路整然と答え、ただならぬ子だと感心し、今日の宴会で皆に自慢をした。
ところが、今日になって答えが逆になり、「長安より太陽が近い」という間違った答えに変わってしまった。

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文庫: 256ページ
出版社: 講談社
言語: 日本語
ISBN-10: 4062919753
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