よもすがら 物思ふ比は 明けやらぬ
閨のひまさへ つれなかりけり
よ | ||
夜 | も | すがら |
名 | 係助 | 副 |
…の間ずっと。 |
ものおも | ころ | |
物思ふ | 比 | は |
動 | 名 | 係助 |
ハ四 (連体形) |
あ | ||
明け | やら | ぬ |
動 | 動 | 助動 |
カ下二 (連用形) |
ラ四 (未然形) |
打消 (連体形) |
ねや | |||
閨 | の | ひま | さへ |
名 | 格助 | 名 | 副助 |
隙間。 | 添加 |
つれなかり | けり |
形ク | 助動 |
(連用形) | 詠嘆 (終止形) |
夜もずっと
(つれない恋人のことを)想うこの頃は、
なかなか夜が明けてくれない
寝室の隙間までもが
つれないことだなあ。
出典『千載集』恋2・766
「物思ふころ」(男を想う今日この頃)という言葉から、男が何日もやって来ないことがわかる。
幾晩も来ない男を待つ女が、いっそ早く夜が明けてくれれば良いのに、と恨むさまを詠み上げた歌だ。
作者の俊恵法師は男性だが、これは歌林苑(俊恵法師が開いた歌会グループ)での歌合せで女性の立場に立って詠んだものだ。
「閨のひまさえつれなかりけり」(寝室の隙間さえもつれないことだ)という発想・表現は、寝室の隙間がまさか恨みの対象になるという前例も無く、独特のものだった。
少々マニアックな話。
第三句は室町時代までの写本はほとんどが「明けやらぬ」(打消しの助動詞 連体形)となっているが、近世以降「明けやらで」(打消しの接続助詞)と表記しているものが多くなる。 現在でも「明けやらで」で表記している文献は多い。
しかし元々の百人一首としては「明けやらぬ」が正しいと思われるので、「明けやらぬ」で品詞分解を行った。
さて、「ぬ」・「で」はどちらも打消しの助動詞/接続助詞ではあるが、どちらにするかで少々ニュアンスが異なってしまう。
1のように「明けない」が直接「閨」に修飾した場合、寝床に居る間には夜が明けない時期(=冬)の歌、ということで時期が限定されてしまう。
冬であればなかなか夜が明けないのは当然で、寝床の隙間はつれなくもなんともない。
これでは「物思ふ頃は」という設定も台無しになってしまう。
いっぽう、2のように接続助詞としていったん文を切ると、季節が限定されないので夜の長短に関係なく歌を味わうことができる。
後世の人がある意味「改良」したものだと言える。
俊恵法師(1113 - 没未詳)
源俊頼の子。 東大寺の僧であり、17歳で父と死別してからは20年ほど和歌の世界から遠ざかっていた。
40歳を過ぎてから、白川にある自分の寺を歌林苑と名付けて、歌会を盛んに開くようになった。
鴨長明は俊恵の弟子で、鴨長明が記した『無名抄』には俊恵の言葉が多く残されている。(参考:『☞深草の里』)
『詞花集』以下の勅撰集には83首入集。