世の中よ みちこそなけれ おもひ入る
やまのおくにも 鹿ぞなくなる
よ | なか | ||
世 | の | 中 | よ |
名 | 格助 | 名 | 間投助 |
感動・強調 |
みち | な | |
道 | こそ | 無けれ |
名 | 係助 | 形ク |
強意 | 「こそ」の結び(已然形) |
おも | い |
思ひ | 入る |
動 | 動 |
ハ四 (連用形) |
ラ四 (連体形) |
やま | おく | |||
山 | の | 奥 | に | も |
名 | 格助 | 名 | 格助 | 係助 |
場所 |
しか | な | ||
鹿 | ぞ | 鳴く | なる |
名 | 係助 | 動 | 助動 |
強意 | カ四 (終止形) |
伝聞推定 「ぞ」の結び(連体形) |
世の中というのは まあ、
逃れ道というのは無いのだなあ。
深く思い込んで
(分け入ってきた)山の奥でも、
(憂きことがあるのか、もの悲しく)鹿が鳴くらしいなあ。
出典『千載集』雑中・1151
「道こそなけれ」(世の中に逃げ道は無いのだなあ)、というのがこの歌の主題だ。
世の中の悲しいことから逃げようと思い詰めて、山奥までやってきたのに、その山奥でも鹿が悲しい声で鳴く。
悲しいことからはどこに行っても逃げられない、そんな余情を詠み上げた歌だ。
藤原俊成は数多くの和歌を詠み、勅撰集にも多く入集しているが、この歌は本人が撰者を務めた『千載集』にも自ら選び入れている自信作だ。
ちなみにこの歌は俊成が二十代の若い頃に詠まれた。 当時は戦乱の時代で、俊成は出家を考えていたという。
結局俊成は出家しなかったのだが、鹿の声を聞いて「出家をしても逃げ道は無いなあ」と思い直したのかもしれない。
ちなみに、もしこのとき俊成が出家していたら、その子である藤原定家も生まれていなかった。
他にも俊成本人が気に入っていたのは
夕されば 野辺の秋風 身にしみて
うづら鳴くなり 深草の里
などがある(☞『無名抄』深草の里)のだが、
定家としては、俊成の人生史にかかわるということもあって、『世の中よ〜』のほうを百人一首に選んだのだろうか。
皇太后宮大夫俊成(1114 - 1204)
藤原俊成。 定家の父親で、『千載集』の撰者。
63歳で出家して釈阿と号した。
勅撰集には418首入集しており、これは藤原定家・紀貫之に続いて3番目に多い。