思ひわび さてもいのちは ある物を
うきにたへぬは なみだなりけり
おも | |
思ひ | わび |
動 | 動 |
ハ四 (連用形) |
バ上二 (連用形) |
いのち | |||
さて | も | 命 | は |
副 | 係助 | 名 | 係助 |
そのまま。 そういう状態で。 |
ある | ものを |
動 | 接助 |
ラ変 (連体形) |
逆接 |
う | た | |||
憂き | に | 堪へ | ぬ | は |
形ク | 格助 | 動 | 助動 | 係助 |
「憂し」 (連体形) |
ハ下二 (未然形) |
打消「ず」 (連体形) |
なみだ | ||
涙 | なり | けり |
名 | 助動 | 助動 |
断定 (連用形) |
詠嘆 (終止形) |
(長年つれない人を)思い慕うことに疲れて、
それでも命は
繋いでいるというのに、
辛さにこらえられないのは
涙であることだなあ。
出典『千載集』恋3・818
単純に解釈すれば、思い通りにならない恋のつらさをしみじみと詠んだ歌だ。
定家は元々あまりこの歌を評価していなかったようで、『八代抄』(1215年頃成立。定家が50歳過ぎの頃の撰)をはじめ、秀歌撰には選び入れてこなかった。
しかし定家が晩年になって『百人一首』には選び入れた。これには2つの理由が考えられる。
まず、道因法師は、90歳を過ぎて耳が遠くなっても歌会に出席し続けた、言ってみれば「和歌大好きじいさん」として有名だった。
和歌の数奇人として、この人は『百人一首』から外すわけには行かなかったという事情があっただろう。(つまり道因法師という人がまず選ばれたということ)
また、この歌は昔を振り返る述懐調でもある。
晩年になって過去の恋を振り返る、そんな雰囲気もあり、晩年の定家の心に響いたのかもしれない。
道因法師(1090 - 没未詳 )
藤原敦頼。
1172年に出家。 1179年の『右大臣家歌合』に90歳で出席した記録があり、まもなく逝去したと思われる。
晩年まで和歌に執着しつづけ、歌の神として信仰されていた住吉大社(現在の大阪市住吉区)にしばしば参詣していたという。
『千載集』以下の勅撰集に41首入集。