嘆きつゝ ひとりぬるよの あくるまは
いかに久しき ものとかはしる
なげ | |
嘆き | つつ |
動 | 接助 |
カ四 (連用形) |
継続 |
ぬ | よ | ||
ひとり | 寝る | 夜 | の |
名 | 動 | 名 | 格助 |
ナ下二 (連体形) |
あ | ま | |
明くる | 間 | は |
動 | 名 | 係助 |
カ下二 (連体形) |
ひさ | |
いかに | 久しき |
副 | 形シク |
(連体形) |
し | ||||
もの | と | か | は | 知る |
名 | 格助 | 係助 | 係助 | 動 |
疑問 | ラ四 「か」の結び(連体形) |
嘆きながら
ひとりで寝る夜の
明けるまでの間が
いかに長いものか
あなたは知っていますか。
出典『拾遺集』恋4・912
夫の兼家が、こそこそと他の女の家に通い始めて3日帰らず、ようやく帰ってきたときの怒りを詠んで、色褪せた菊に挿して贈った歌。
詳しくは本人の日記『蜻蛉日記』の ☞うつろひたる菊 に詳しいストーリーがあるのでこちらを参照。
右大将道綱母(937? -995)
藤原道綱母。 陸奥守 藤原倫寧の娘。
954年に藤原兼家と結婚し、翌年に道綱を生んだ。
自身と兼家との結婚生活を綴った自叙伝風の『蜻蛉日記』は、日記文学の先駆けといえる。
和歌の名人としても名高かった。『拾遺集』以下の勅撰集に36首入集。