わすれじの 行く末迄は かたければ
けふをかぎりの 命ともがな
わす | ||
忘れ | じ | の |
動 | 助動 | 格助 |
ラ下二 (未然形) |
打消意志 (終止形) |
ゆくすゑ | まで | |
行末 | 迄 | は |
名 | 副助 | 係助 |
将来。 |
かた | |
難けれ | ば |
形ク | 接助 |
(已然形) | 順接 |
けふ | かぎ | ||
今日 | を | 限り | の |
名 | 格助 | 名 | 格助 |
いのち | ||
命 | と | もがな |
名 | 格助 | 終助 |
願望 |
(あなたが私のことを)忘れるまいと言う
遠い将来までは
(あなたの心が変わらないことは)難しいので、
今日を最後の
命としたいなあ。
出典『新古今集』恋3・巻頭
熱い愛の言葉を聞いた今が一番幸せなのだから、その幸せの絶頂の時に死にたい、という悲しい女心を詠んだ歌。
平安時代は通い婚の時代だから、男が心変わりをすると、あっという間に他の女へと移ってしまうことも珍しくは無かった。
和泉式部、赤染衛門など超一流の女性歌人にも同じような歌がある。(しかも第五句が全く同じ)
こよひさへ あらばかくこそ 思ほえめ
今日くれぬまの 命ともがな
明日ならば 忘らるる 身になりぬべし
今日を過ぐさぬ 命ともがな
儀同三司母(生年未詳 - 996?)
高階貴子。 高内侍とも。
「儀同三司」とは、「准大臣」の唐名。
貴子の息子、藤原伊周が道長との勢力争いに敗れて大宰府へ左遷された後、復権のときに大臣に戻すことはできないが「大臣以下 大納言以上」の扱いとされることになった。 この待遇を後漢時代の「儀同三司」(三公と同等の待遇を受けた者)になぞらえて伊周が自称した。
貴子は伊周の左遷直後、息子の身の上を案じながら病にかかり死去。
漢詩にも優れていた記録が残る(大鏡)。 勅撰集には5首入集。