明ぬれば くるゝものとは しりながら
なほうらめしき あさぼらけかな
あ | ||
明け | ぬれ | ば |
動 | 助動 | 接助 |
カ下二 (連用形) |
完了 (已然形) |
既定条件 |
く | |||
暮るる | もの | と | は |
動 | 名 | 格助 | 係助 |
ラ下二 (連体形) |
し | |
知り | ながら |
動 | 接助 |
ラ四 (連用形) |
うら | |
なほ | 恨めしき |
副 | 形シク |
(連体形) |
あさぼらけ | |
朝朗 | かな |
名 | 終助 |
夜がほのぼの明けた頃。 (「あけぼの」の少し後) |
詠嘆 |
夜が明けてしまうと、
日が暮れ(て、またあなたに会え)るものだとは
知っていながらも、
やっぱり恨めしい
(別れて帰る時間の)朝ぼらけだなあ。
出典『後拾遺集』恋2・672
詞書に「女のもとより雪ふりはべりける日 帰りてつかはしける」とあって、
かへるさの 道やはかはる かはらねど
とくるまにまどふ 今朝の淡雪
の次にある歌。
夜に会った後に、別れなければならない朝の未練を詠った後朝の歌だ。
前の歌と合わせると、一面に降り積もる薄雪の中、淡い恋心を抱きつつ帰る光景が思い浮かぶ。
雪が降るということは、つまり日の短い冬の歌だ。
日が短いのだから割とすぐ会えるのだが、それでもまた逢うのが待ち遠しい、ということですね。
藤原道信朝臣(972-994)
藤原為光の子。 のちに兼家の養子となり、さらに兼家の没後は道兼に引き取られた。
公任・実方とも親交があり、和歌の才能も認められていたのだが、23歳と若くして逝去してしまった。
『大鏡』にはその早すぎる死が惜しまれたという話がある。
『拾遺集』以下の勅撰集に48首入集。