此たびは ぬさもとりあへず 手向山
紅葉のにしき かみのまにまに
こ | |||
此 | (の) | たび | は |
代名 | 格助 | 名 | 格助 |
【掛詞】 度+旅 |
【掛詞】 取り敢えず | |||
ぬさ | も | とりあへ | ず |
名 | 係助 | 動 | 助動 |
【幣】 | 『取り合ふ』ハ下二 (未然形) |
打消 (終止形) |
たむけやま |
手向山 |
名【掛詞】 |
「手向山」(奈良山の峠) + 「手向け」 |
もみぢ | ||
紅葉 | の | にしき |
名 | 格助 | 名 |
【錦】 |
かみ | ||
神 | の | まにまに |
名 | 格助 | 副 |
【神】 | 【随に】 |
この度の旅は
(突然のことなので)幣をきちんと捧げることができない。
とりあえずは手向山の
美しい紅葉を手向けの幣として
神よ、御心のままにお受け取りください。
出典『古今和歌集』羈旅・420
紅葉の美しさをそのまま詠まず、紅葉の錦を神への捧げ物とするという着想が、当時は非常に人気を博した。
これを下敷きとして、様々な人が紅葉の歌を詠んでいる。
秋の山 紅葉をぬさと たむくれば
住む我さへ 旅ごごちする紀貫之
など。
菅家(845 - 903)
菅原道真。忠臣として名高く、宇多・醍醐天皇から重用され政治の世界で活躍した。
右大臣まで昇進するが、対立する左大臣の藤原時平・源光らから901年に謀反の噂を流され、大宰府(現在の福岡県)に左遷される。
結局大宰府にて903年に病死。太宰府天満宮に学問の神として祀られている。
道真の死後、左遷の首謀者 源光の溺死、皇族の病死、清涼殿への落雷など天変地異が相次ぎ、道真の祟りだと噂された。
左遷の際のエピソードについては『大鏡』(☞ 菅原道真の左遷)を読んでみよう。