住の江の 岸による波 よるさへや
ゆめの通路 人めよく覧
すみ え | |
住の江 | の |
名 | 格助 |
住吉の浦(大阪) |
きし | なみ | ||
岸 | に | よる | 波 |
名 | 格助 | 動 | 名 |
ラ四「寄る」 (連体形) |
よる | さへ | や |
名 | 副助 | 係助 |
【夜】 | 添加 | 問い掛け |
かよひぢ | ||
ゆめ | の | 通路 |
名 | 格助 | 名 |
【夢】 |
ひと | ||
人め | よく | らむ |
名 | 動 | 助動 |
【人目】 | カ上二「避く」 (終止形) |
推量 「や」の結び(連体形) |
住の江の
岸に打ち寄せる波ではないが、
(人目の憚られる昼だけでなく)夜までも、
夢の通い路で
(あなたは)人目を避けようとするのだろうか。
出典『古今和歌集』恋2・559
「夢の通い路」とは、夢の中で逢うために通る道。
当時、夢で逢うというのは相手が自分を想っていることとされており、「夢の通い路を通ってくる」というのは恋の表現だ。(参考:☞伊勢物語『東下り』 コラム「夢で逢うということ」)
昼間逢うことはおろか、夢の通い路を通ることさえ人目を憚っているという、忍ぶ恋を嘆く歌。
藤原敏行朝臣(生不詳-907)
陸奥出羽按察使富士麿の子。
三十六歌仙のひとりで、書道を得意としたとされる。現存するのは京都・神護寺の鐘に刻まれた銘文のみ。