難波がた みじかきあしの ふしのまも
あはで此よを 過してよとや
なには |
難波がた |
名 |
【難波潟】 |
みじかき | あし | の |
形 | 名 | 格助 |
ク活用(連体形) | 【葦】 |
ふし | の | ま | も |
名 | 格助 | 名 | 係助 |
【節】 | 【間】 |
あ | こ | ||||
逢は | で | 此 | (の) | よ | を |
動 | 接助 | 代名 | 格助 | 名 | 格助 |
ハ四 (未然形) |
【世】 |
すぐ | |||
過し | てよ | と | や |
動 | 助動 | 格動 | 係助 |
サ四 (連用形) |
完了 (命令形) |
疑問 |
難波潟の
短い葦の
節と節の間のような(短い)間も
逢わずにこの世を
(寂しく)過ごして終えよというのか。
(私はこんなに恋い慕っているのに)
出典『新古今和歌集』恋1・1049
「難波潟」とは現在の大阪湾の入江。昔は干潟となっており、葦が茂っていたという。
当時、葦は節と節の間が短いと考えられており(本当は短くないのだが)、比喩を巧みに駆使することで、短さの表現をしている。
そこから、燃え上がる恋心の強さが思い浮かぶ歌だ。
伊勢(生没年未詳 872? - 938?)
藤原継蔭の娘。宇多天皇の中宮温子に仕え、温子の兄 仲平と交際をした。
その後、宇多天皇の寵愛を受けて皇子を生んだがこれは早くして亡くなる。
さらにその後には宇多天皇の皇子 敦慶親王と結婚して、女流歌人として名を馳せた中務を生んだ。