立地論とは、経済地理学の根底にあるもので、簡単にいってしまえば「なぜそこにあるのか?」を説明しようとする理論です。たとえば、「なぜ農地は繁華街から離れた場所に広がっているのか?」という問題を解き明かすとしましょう。
それは地代(地価や賃貸料)から説明ができます。まずは土地利用の区分を大まかに分けて考えてみましょう。
@商業 : 商店やオフィスの集まる繁華街であり、とにかく交通の利便性が重要。
A倉庫・製造業 : 物を運ぶため、特に倉庫業は交通の利便性が重要。
製造業はどちらかというと広い土地が必要。
B住宅 : 通勤通学のため、あるていど交通の利便性が必要。
C農業 : 農業に適した広い土地があれば、交通の利便性はさほど求められない。
商業は、とにかく高い地代を払ってでも都心付近に立地したいし、どんなに安かろうと都心から離れた場所には立地したがらない、ということができます。逆に、農業は都心近くという立地にはさほど魅力を感じないのでそれほど高い地代を払うつもりはなく、都心から離れた土地でもOKということです。これをグラフとして図にまとめてみると、以下のようになります。
立地にこだわる商業はグラフの傾きが大きく、逆にこだわらない農業は傾きが小さくなります。この図は、都心からの利便性に対して、それぞれの土地利用をする人がどの程度都心から離れることができ、いくらまで払えるかという限界を示したグラフだと理解してください。
さてここで、あなたがもし都心(図中x軸のa)に土地を持っていて、売る/貸すとしたら、誰に貸しますか?一番高い地代を払うつもりでいるのは商業を営んでいる人ですから、当然商業を営む人に売る/貸すという判断をするでしょう。
それぞれの土地において、最も高い地代を払ってくれる利用者に貸すと考えれば、自然とaの地域は商業、bの地域は倉庫業、cの地域は住宅、dの地域は製造業、eの地域は農業が卓越するようになります。都心に近いほど高密度で集約的な、遠ざかるほど低密度で粗放的な土地利用がなされます。
以上の地代による説明は、J.H.チューネンの『農業と国民経済に関する孤立国』(1826)という本で論じられた農業立地論を現代都市の土地利用に応用したものです。ここでは農業立地論そのものについての説明は省略します。地理ノートの☞農業の成立条件をご参照あれ。
チューネンの農業立地論は、一都市を中心として、その周囲にどのような土地利用が分布するかを説明する理論でしたが、都市がどのように立地するかを説明した理論として最も注目を集めたのが、クリスタラーの中心地理論です。
中心地理論を理解する上で、まず財(商品)の基礎概念をおさえておく必要があります。
財の基礎概念
消費者が、財を購入するのに移動しても良いと考える限界。
供給者が、財を販売するのに必要な需要人口を満たす、中心地からの最小距離。
1と2は一致しないことも多い。1>2のとき、必要以上の顧客が獲得できるため、供給者が超過利潤を得る。ただし、超過利潤を得るような状況の場合、新規業者の参入等により1と2は徐々に近づいていく。
1≦2のとき、供給者は商売が成り立たずに営業をあきらめる。
財には生産財に近いものから消費財に近いものまで階層性がある。たとえばパンが欲しい人がいたとする。パンが欲しいという欲望が第一次財であり、それをつくる小麦粉・燃料・窯といったものが第二次財、それを作るのに必要な鍬・鍬・木材・煉瓦などが第三次財…というふうになる。
その財の階層に応じて、その財の到達範囲にも階層性があるはずである、という考え。
この3つを併せて、クリスタラーは「補給原理」を提示しました。国土のあらゆる部分に あらゆる中心的財を 最小数の中心地から供給するように都市が分布する、という原理です。この最小数の中心地というのがミソです。
平面を埋め尽くすことが出来る最小の多角形は正三角形です。これを敷き詰めていくと、正六角形の形をした都市の体系が出来上がります。南ドイツでは都市が等間隔に分布していますが、クリスタラーはこれを補給原理によって説明したのです。
立地論というのは、なぜ場所によって違う利用のされ方をするのかを、地代や移動による限界から説明するものである、ということはお分かりいただけたでしょうか。
その土地によって利用のされ方や文化が違うというのは、地理学の様々な疑問の原点と言っても過言ではないと思います。それが昨今は自動車・鉄道・飛行機等で移動が楽に・速くなったことでグローバル化が進み、均質化が進みつつあります。どの国の首都も伝統建築ではなく、コンクリートのビル群が建ち並ぶようになり、日本国内でも郊外は国道沿いにチェーン店がずらっと並び似たような風景になりました。
これを分かりやすく説明するために、「もしもドラえもんの道具『どこでもドア』が実用化されてしまったら?」ということを考えてみましょう。
『どこでもドア』が実用化されてしまったら、飛行機なんて目じゃないほどのグローバル化、均質化が進みます。地球上のどこに立地しようが、ドアツードアで行けちゃうんだから同じこと。人の移動だけならまだしも、物だってぽいぽい運べてしまうはずです。流通もクソも無くなって、立地論などあり得ない世の中になってしまいます。どこでもドアが開発されれば忽ち経済地理学は崩壊するのです。
松原 宏 編著. 2002. 『立地論入門』. 古今書院