二階の窓から

NVCと電車


 最近 コミュニケーション能力 という言葉をよく耳にします。巷でつかわれる コミュニケーション能力 という言葉は、話や人付き合いの上手さといった、『言葉でいかに話すか』という点ばかりに注目がいきがちです。しかし、情報の伝達において、非言語的なコミュニケーションもまた非常に重要な役割を果たしていることは間違いありません。

ノン・バーバル・コミュニケーションとは?

 ノン・バーバル・コミュニケーション(以下NVC)とは、言葉を用いずに体の動き表情で何かを伝えることだ。

 NVCは表象身体操作例示的動作、情動表出、規制的動作の5つに分類することができる。

表象

はっきりとした意味を示し、「はい」「いいえ」を現す首の動きなどがその例だ。話すことは出来るがそうしないほうが良いとき、あるいは会話の最中に、ことばの代わりやメッセージの強さを加減するときなどに用いられる。

身体操作

体のある部分を使って何かをする動作で、たとえば頭をかくとか、鼻をほじくるとか、あるいはものを本来の使用目的と異なる使い方をすること(鉛筆を弄ぶなど)が好例。不快であればあるほど身体操作も増す傾向がある。たいていの場合、意図的に行われるものではないが、しばしばその人の評価につながる。たとえば、ずっと髪の毛をいじる人は落ち着きがないと評価されうる。

例示的動作

発話の内容・流れと密接に結びついた動きである。たとえば言葉に詰まったときに指を鳴らしたりして自分が話を続けようとしていることを示す/あるいは言葉を見つけやすくする自己点火の役割をもつ。あるいは言葉で説明しにくいものをジェスチャーで示すこと、句読点や強勢をつけることを目的とする。熱中しているときに頻繁に使われる。

●情動表出

顔の表情や怒りを表す拳の振り下ろしが好例。表象と近いが、はっきりとした意味を持っているというわけではなく、また無意識的に行われる点が異なる。

●規制的動作

相手の運動に規制をかけるよう働きかけるもの。例えば、手で制止する動きや、手招きなど。

(W.フォン・ラフラー・エンゲル, 1981. をもとに筆者が抜粋・要約。)

 分類に多少曖昧なところもありますが、ここまで読んできて思い当たる節がたくさんあったのではないでしょうか? 言語によるものだけではなく、非言語によるコミュニケーションをたくさんとっていることは明らかでしょう。

 もちろん私たちは様々な場面でNVCをとっているわけですが、特にNVCを見かける場所があります。それは電車の中です。

電車内での表象

 特に『表象』が多く用いられる場所、それは満員電車の中である。たとえば、降車したくてドア付近の人々に避けてもらう必要があるとき、「すみません、降ります」と声でお願いすることも可能だけれど、大抵の人はそうせずに、手をパーの形にして垂直チョップの動作やお辞儀などをしながら進む。これでドア付近の人は気づいて、道を譲ってあげるわけですね。こうしてもらえば、何もせずに無理矢理掻き分けて行かれるよりも随分後味が良いものです。これがNVCの効果というわけです。

 しかし、なぜ電車の中ではNVCが好んで用いられるのか?これは大方相手が知らない人なので、声をかけづらいことが大きいでしょう。なるべく知らない人と関わりたくない。ゆえに、積極的に言語を通して「降ります!」と主張することはなというわけ。その代わりとしてお辞儀などの動作でもって示すのです。動作だけでも、周囲にはきちんと意味が伝わり、円滑なコミュニケーションをとるという言語の役割を、充分に代わって果たすのです。

 ところが、最近はこういったNVCが必ずしも上手く行かない場面も見かけられます。一人のお婆さんが下車するために、例に漏れずお辞儀をして道を譲るよう表象しながらドアのそばまでやって来ましたが、ドアの前で立っていた女性が目は携帯電話に夢中、耳はイヤホンで塞がれていたために、お婆さんに気づかずそのまま立っていました。たまたま近くにいた駅員が「お客様」、と声をかけ、手でどくように示す表象をしたが、これにも気づかず。お婆さんは女性を迂回して降りていきました。携帯に夢中になってる人はよく見かけますが、駅員の声かけにも動じないのは初めて見ました。

 このように、携帯電話とイヤホンはNVCの大きな阻害要因です。もちろん言語による伝達にとってもこの2つは阻害要因となりますが、言語による伝達以上に周囲に対する注意力が必要なNVCにとって、これは致命的なものです。

なぜ「携帯電話の通話はご遠慮ください」なのか

 さて、イヤホンの音漏れといった迷惑行為に対する周囲の反応も、下車する意図を示すための垂直チョップやお辞儀に対する返答も、すべてNVCによって行われます。たとえば音漏れ人間の周りの人々は、不快な顔・しかめ面をしたり、そちらにちらちら視線を送ったりと、非言語的な反応をします。(これですぐに気付いて直す人はあまりいないけれど。) 少なくとも僕は、これまで言語で直接的に音漏れを注意する人の姿を一度も見たことがありません。

 先ほどの章でも電車内でNVCが好まれることは触れましたが、これだけNVCが好まれる理由として、電車という空間の狭さが挙げられると思います。人間には「この人はこの距離まで近づいてきても許せる」というパーソナルスペースというものがあります。

 パーソナルスペースとは、他人に近付かれると不快に感じる空間であり、その距離は相手との関係性による。

密接距離(〜50cm前後):
ごく親しい人に許される空間。

個体距離(50cm〜1.2m):
相手の表情が読み取れる空間。

社会距離(1.2〜3.5m):
相手に手は届きづらいが、容易に会話ができる空間。

公共距離(3.5m〜):
複数の相手が見渡せる空間。

(Wikipedia「パーソナルスペース」, 2014. をもとに筆者が抜粋・要約。)

 電車内で乗り合わせる人は知らない人ですから、基本的には社会距離や公共距離が許容できる距離といえるのではないでしょうか。では電車でどれほど他人と距離を置けるのか、混雑率から見てみましょう。

konzatsu

(九州運輸局, 2009. より)

 だいたい都市部の満員電車は乗車率が150%を超えることが多い。(この資料によると、150%なら新聞が読めるとか書いてあるけど、満員電車で新聞読んでる人とかあんまりいないような? まあそれはさておき……)180%で 体が触れあう程度 ということは、電車の中ではだいたい他人と密接距離にあるということです。また、どんなに空いていても社会距離よりは短い距離にあるでしょう。

 満員電車の中では、見知らぬ人と否応なく個体距離・密接距離といった距離で居合わせることになります。つまり電車内では自分のパーソナルスペースに入れる人をコントロールできないのです。電車の中で携帯電話の使用は、電波によるペースメーカー等へ影響があるともいわれますが、心理学的にいえばこのパーソナルスペースに与える影響がとても大きいように思います。

 というのも、パーソナルスペース内での他人の通話は非常に気になってしまいます。社会距離というのは、会話をするための距離ですから、それより内側にいる人のことは否応なく気になってしまいます。実際、車内で電話をしている人がいたら嫌でも聞き耳を立てて、何を話しているのか聞いてしまうでしょう!? (僕だけではないはず)逆に言うと、この「周囲の耳」が車内での通話を自制させる気もします。

 つまり、NVCが好まれることも、携帯電話の使用がよろしくないことも、おそらくは電車内では否応なくパーソナルスペースに入りあっているから、ということです。

視線のやり場

 ここまでは主に声に関する話だけを扱ってきましたが、これだけ近い距離にいると、問題は声だけではなくなってきます。それは目、つまり視線です。

 相手を見つめ続けることは、相手に対して強い「愛情」あるいは「敵意」、強力な相手からの攻撃を「恐れ」身構えていることを意味します。

 ふつうは乗り合わせただけの他人に愛情・敵意・恐れなどは感じていないはずですから、見知らぬ人へ視線を送ることは極力避けなければなりません。混んだ電車の中では特にこれが顕著で、大抵の人は広告を見たり、窓から外を見たりして視線を外します。一度神経質そうな人がキョロキョロと車内を見回していることがありましたが、そのとき周囲の人はまるで磁石の同じ極が弾き合うかのように、揃って視線をそらしていました。目をそらす、という行為自体が「あなたには迷惑かけませんよ」「特に関わるつもりはありませんよ」というサイン(これもある意味ではNVCの一環)でもあるように思えます。

 このように、電車の中では非常に多くのNVCがとられています。どんなNVCがとられているかを気にしながら電車に乗ると、つらい通勤・通学もちょっとは面白くなるかもしれません。ただしくれぐれも挙動不審にならないように注意してくださいね。

参考文献

W.フォン・ラフラー・エンゲル. 1981. 『ノンバーバル・コミュニケーション―ことばによらない伝達』. 大修館書店.
九州運輸局. 2009. 「福岡都市圏における時差通勤・通学の推進について」

(2012.02.14 心理学のレポートとして作成、 2014.08.10 改)
ノンバーバル・コミュニケーション―ことばによらない伝達
→Amazon.co.jpで購入

単行本: 271ページ
出版社: 大修館書店 (1981/05)
ISBN-10: 4469210900
ISBN-13: 978-4469210903
商品パッケージの寸法: 20 x 13.8 x 2 cm

←前
ブロッコリーに関する考察
次→
立地論とどこでもドア
二階の窓から > コラム > 雑学あれこれ > NVCと電車