二階の窓から

『曾根崎心中』より
徳兵衛お初 道行みちゆき

近松門左衛門

原文 現代語訳 ノート

原文

 この世の名残り、も名残り、死に行く身をたとふれば、あだしが原の道の、一足づつに消えて行く、夢の夢こそ哀れなれ。 あれ数ふれば、暁の、七つの時が六つ鳴りて、残る一つが今生の、鐘の響きの聞き納め、寂滅為楽じゃくめつゐらくと響くなり。 鐘ばかりかは、草も木も空も名残りと見上ぐれば、雲心なき水の音、北斗は冴えて影うつる、星の妹背いもせの天の河、梅田の橋を鵲の橋と契りて、いつまでも、われとそなたは夫婦星、必ずさうとすがり寄り、二人がなかに降る涙、川の水嵩みかさまさるべし。

 向かふの二階は、何屋とも、おぼつかなさけ最中にて、まだ寝ぬ灯影ひかげ、声高く、今年の心中よしあしの、言の葉繁るらん。きくに心もくれはどりあやなや、昨日今日までも、よそに言ひしが、明日よりは我も噂の数に入り、世にうたはれん。うたはばうたへ、うたふを聞けば、
 「どうで女房にや持ちやさんすまい。いらぬものぢやと思へども」
 げに思へども、嘆けども、身も世も思ふままならず、いつを今日とて今日が日まで、心の伸びし夜半もなく、思はぬ色に、苦しみに、
 「どうしたことの縁ぢややら、忘るる暇はないわいな。それに振り捨て行かうとは、やりやしませぬぞ。手にかけて、殺しておいて行かんせな。放ちはやらじと泣きければ」
 歌も多きにあの歌を、時こそあれ今宵しも、うたふは誰そや、聞くは我、過ぎにし人も我々も、一つ思ひとすがり付き、声も惜しまず泣きゐたり。

 いつはさもあれ、此の夜半は、せめてしばしは長からで、心もなつの夜の習ひ、命を追はゆるの声、明けなばうし天神の、森で死なんと手を引きて、梅田堤の小夜さよがらす、明日は我が身を餌食ぞや。まことに今年はこな様も、二十五歳の厄の年、わしも十九の厄年とて、思ひ合うたる厄祟り、縁の深さのしるしかや。神や仏にかけおきし、現世の願を今ここで未来へ回向し、後の世も、なほしも一つはちすぞやと、爪繰つまぐる数珠の百八に、涙の玉の数添ひて、尽きせぬあはれ、尽きる道、心も空も影暗く、風しんしんたる曾根崎の森にぞたどり着きにける。


現代語訳

 この世の別れ、夜も別れと、死にに行く身をたとえると、あだしが原の霜が一足踏むごとに消えてゆくようで(=死に一歩ずつ近づいているようで)、あたかも夢の中で見る夢のように哀れなことだ。おや、数えてみると、暁の七つの鐘が六つ鳴って、残る一つがこの世の鐘の響きの聞き納め、寂滅為楽と響く。鐘ばかりであろうか、草も木も空も、(これが最後の)名残だと見上げると。雲は心(の苦しみ)もなく(流れていき)水の音(も無心に流れている)。北斗星は冴えてその光が水に映っている。夫婦の星である天の川のように、梅田の橋を鵲の橋と契りを込め、いつまても、私とあなたは夫婦星のように、かならず添い遂げようとすがり寄り、二人の間に振り降りる涙で、川の水かさも増すだろう。

 (川の)向こうの二階は、何屋なのか、はっきりとわからないが、まだ寝ずに明かりを灯し、声高に、今年の心中の批評について、話がはずんでいるようだ。それを聞いていると気持ちが暗くなり、ふがいなくも、昨日今日までは、(心中のことを)他人事のように言っていたが、明日からは自分のことも噂の一つになり、世間で話題になるだろう。歌うなら歌えと、(誰かが)歌うのを聞いていると、
 「♪どうせ(私を)女房に持ちはなさらないのだろう。(あなたのことを思うのは)意味のないことだと思うけれど」
 まったくその通りだと思うけれども、そして嘆きもしたけれども、自分の身も境遇も思うとおりにならず、いつも今日までずっと、心が晴れ晴れとした夜はなく、思いも寄らぬ色恋沙汰に、苦しんでいたところに、(また誰かが歌う)
 「♪どういった因縁であろうか、(あなたを)忘れる暇はないのだよ。それなのに(私を)振り捨てていこうとは、行かせはしませんよ。(あなたの)手で、(私を)殺しておいて行きなさい。離しはしまいと泣いたので」
 歌もたくさんあるというのにあの歌を、時は色々あろうがよりによって(心中しようとしている)今夜、歌うのは一体誰であろう、聞くのは私だ、(あの歌の中で)死んでしまった人も我々も、同じ思いだと二人はすがりつき、声も惜しまずに泣いているのだった。

 いつもはそうあっていいのだが、今夜はせめて少しは長くあって欲しいのにそうではなくて、心ない夏の夜のならいで(短く)、命を追われるような鶏の声が(聞こえる)、夜が明けたら憂鬱だ、天神の森で、死のうと手を引く。梅田堤の小夜烏が、明日は私の身体(死骸)を餌食にするだろう。ほんとうに今年はあなた様も25歳の厄年、わたしも19歳の厄年なので、想い合わせたような厄祟りは、二人の縁の深さの印だろうか。神や仏に願掛けていた、(夫婦になりたいという)現世の願いを今ここで未来(来世)に廻し向けて、あの世で一つ蓮の花の上に生まれかわろう(=一緒に極楽浄土に行こう)と、爪繰る数珠の108個の玉に、涙を同じようにたくさん流し、哀れさは尽きることがないが、(心中をする曾根崎天神への)道は尽き、心も空もどんより暗く、風がひっそりとした曾根崎の森にたどり着いたよ。


作品

曾根崎心中そねざきしんじゅう

近松門左衛門ちかまつ もんざえもん作の人形浄瑠璃。
人形浄瑠璃は、三味線の伴奏と、太夫たゆう(語り手)によって演じられる劇。
西暦1703年4月に大坂で話題となった若い男女の心中事件を、事件の1ヶ月後の5月に竹本座という劇場で上演したところ、これが大ヒットした。


ノート

浄瑠璃というのは劇なので
リズム感のよさ
韻を踏む(掛詞)
前後の言葉の繋がり(縁語)
に気を配って書かれている。「道行」の一場面でも、かなりの数があるので見ていこう。

リズム感

字余り、字足らずが時おりあるが、全編を通して七五調がベースになっている。

掛詞

おぼつかなさけ
おぼつかない + 情け

よしあし
善し悪し + 葭葦

くれはどり
くれ(心が暗くなる) + 呉織くれはとり(中国から来た機織り職人)

なつ
無し + 夏

うし
憂し + 牛

縁語

消え

よしあし(葭葦)言の葉繁る

くれはどり(呉織)あや(綾)

うし(牛)
(動物繋がり)

うし(牛)天神
(牛は天神の使いと言われるため)

曾根崎心中 (角川ソフィア文庫)
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文庫: 302ページ
出版社: 角川学芸出版 (2007/3/1)

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