二階の窓から

『沙石集』より
勘解由小路かでのこうじの地蔵

無住むじゅう

原文 現代語訳 ノート

原文

 近きころ、勘解由小路かでのこうじに、利生りしやうあらたなる地蔵おはします。京中の男女なんにょ、市を成す。
 その中に、若き女房の、見目かたちなびやかなるが、常にまうでて通夜つやしけり。また、若き法師の、常に参籠さんろうしけるが、この女房に心をかけて、いかにしてか近づかむずると思ひけるあまりに、同じくは本尊の示現じげんの由にて近づかむと思ひ巡らすに、この女房、宵のほど勤めし疲れて、うち休みける耳に、
下向げかうの時、初めて逢ひたらむ人を頼め。」
 と言ひて、立ちのきて見れば、ほのぼの明くるほどに起きあがり、わらは起こして、急ぎ下向しけり。僧は、
「しおほせつ。」
 と思ひて、出で合ひて行き逢はんとするほどに、履物を置き失ひて、尋ぬれども見えず。遅かりぬべければ、履物うちかたがた履きて、さきざき下向する方を見おきて、
「勘解由小路を東へ行かむずらん。」
 と、走り出でて見るになし。

 この女房しかるべきことにや、烏丸からすまるを下りにぞ行きける。
 暁月夜あかつきづくよに見れば、入道の、馬に乗りて、伴の者四、五人ばかり具して行き会ひたるに、立ち止まりてものいはむとする気色を見て、入道馬より降り、
「仰せらるべきことの候ふにや。」
 と言へば、左右さうなくうち出でず。やや久しくありて、女の童を以て言はせけるは、
「申すにつけてはばかりおぼへはべれども、勘解由小路の地蔵に、この日ごろまうで、申すことの侍りつるが、『この暁下向のとき、初めて逢ひたらむ人を頼め』と、確かの示現をかうぶりてはべるを、申し出づるにつけてはばかりはべれども、申さでもまた、いかがと思ひて。」
 といひて、よにもの恥づかしげなる気色なり。
 この入道、年ごろの妻におくれて、三年になりけるが、この地蔵に参りて、仏の御はからひに任せて、契りを結ばむとて、いまだ妻もせざりければ、地蔵堂へ参る道にて、かかることのありければ、子細にも及ばず、やがて馬にうち乗せて帰りぬ。田舎に所領など持ちて、貧しからぬ武士入道なりけり。

 さてこの法師は、縦さまに走り、横さまに走り、履物かたがた履きて、汗を流し、息を切りて走りめぐれども、なじかは行き逢ふべき。夜も明けぬれば、あまねく人に問ふに、
「さる人は、しかしかの所へこそおはしつれ。」
 と言ひければ、心のあられぬままに、その家の門に行きて、
「地蔵の示現にはあらず。法師が示現ををこがましく。」
 とののしりけれども、
「こは何事ぞ。物狂ひか。」
 と言ふ人こそあれ、用ゐる人はなし。

 心濁れるは益なし。信深くして仏の御言葉と仰ぎければ、この女房は思ひのごとく、所望しよまうかなひけり。大聖だいしやうの方便めでたくこそ。


現代語訳

 近頃のことだが、勘解由小路に、御利益のたいへんある地蔵がいらっしゃった。京の都中の人々が、集まってくる。
 その中に、姿形が美しい、若い女房が、いつも参詣して夜どおし祈っていた。また、同じくいつも籠もって祈願していた若い法師が、この女房に心を寄せて、どうやって近づこうかと思ったあまりに、いっそのことお地蔵様のお告げということにして近づこうと考えを巡らせて、この女房が夜になったころお勤めに疲れて、仮眠していた耳元に、(若い法師が)
「帰るときに、最初に会った人を(主人として)頼みにしなさい。」
 と言って、引き下がって見ていると、(女房は)かすかに明るくなったころに起き上がって、お供の女の子を起こして、急いで帰っていった。法師は、
「うまくいった。」
 と思って、自分も出て行き(女房と)行き会おうとしたところ、履き物をどこかに置いてしまい、探しても見当たらない。このままでは遅くなってしまうだろうので、片方だけ履き物を履いて、(女房が)これから変える方向を見定め、
「勘解由小路を東へ行っているだろう。」
 と、走って出て見たが、(女房は)いない。

 この女房は、そういう運命であったのか、烏丸を南に行った。
 明け方の月の中で見ると、入道(※剃髪して仏門に入った人のこと)が、馬に乗って、お供を4,5人ほど連れて連れているのに行き会い、(女房が)立ち止まって何かを言おうとする様子なのを見て、入道は馬から降りて、
「おっしゃろうとすることがあるのではありませんか。」
 と言うと、(女房は)まごまごしていて言い出さない。しばらくして、お供の女の子に言わせたことには、
「申し上げるのも恐縮に思うのですが、勘解由小路のお地蔵様に、ここ何日かお参りして、お祈り申し上げることがあったのですが、(お地蔵様が)『この朝帰るとき、初めて会った人を(主人として)頼みにしなさい』と、確かにお告げをいただきましたのを、申し上げるのに恐縮していたのですが、申し上げないのもまた、どうかと思って。」
 と言って、実になんだか恥ずかしそうな様子だ。
 この入道は、長年連れ添った妻に先立たれて、3年になったが、このお地蔵様にお参りして、仏のお取りはからいに任せ、結婚しようと思って、まだ妻も持っていなかったので、お地蔵様のお堂ににお参りする道中で、このようなことがあったので、細かいことを聞くまでもなく、すぐに(女房を)馬に乗せて帰った。(入道は)田舎に領地などを持っていて、貧乏では無い武士入道であった。

 さて、(女房に嘘のお告げをした)あの法師は、(通りを)縦に走り、横に走り、履き物を片方だけ履いて、汗を流し、息を切って走り回るけれども、どうして(女房と)会うことができようか。夜も明けてしまったので、色々な人に聞いていると、(道行く人が)
「その人(=女房)は、どこどこにいらっしゃったよ。」
 と言ったので、心が落ち着かないままで、その家の門に行って、
「お地蔵様のお告げではない。法師(=私)のお告げを(信じるとは)馬鹿らしい。」
 と大騒ぎするが、
「これは何事だ。気でも狂ったのか。」
 と言う人こそあれ、聞き入れてくれる人はいない。

 心の濁った人には御利益は無い。信心を深くして、(法師の嘘のお告げでも)仏のお言葉だと大事にしたので、この女房は祈念していたとおり、念願が叶った。仏様が仏道を悟らせるための方法は素晴らしいことだよ。


作品

沙石集しゃせきしゅう

鎌倉時代、1283年の成立。 無住という僧侶が執筆した、仏教説話集。

(砂)から金を、から玉を引き出す」というのが書名の由来。
世の中に溢れる色々な事柄から、仏教の教えを説いている。


ノート

女房と法師の対比

女房は信心深く、お告げを信じて行動して、念願が叶った。
いっぽう、法師は浮ついた心で、偽のお告げをして女房に近づこうとし、失敗した。

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安田 孝子 (著)
単行本: 170ページ
出版社: 中道館 (1995/10/1)

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