張僧繇、呉中人也。武帝崇飾仏寺、多命僧繇画之。
金陵安楽寺四白竜、不点眼睛。毎云、
「点睛即飛去。」
人以為妄誕、固請点之。須臾雷電破壁、両竜乗雲、騰去上天。
二竜未点眼者、見在。
張僧繇は、呉中の人なり。武帝仏寺を崇飾するに、多くを僧繇に命じて之を画かしむ。
金陵の安楽寺の四白竜は、眼睛を点ぜず。毎に云ふ、
「睛を点ぜば即ち飛び去らん。」と。
人以て妄誕と為し、固く之に点ぜんことを請ふ。須臾にして雷電壁を破り、両竜雲に乗り、騰去して天に上る。
二竜の未だ眼を点ぜざる者は、見に在り。
張僧繇は、呉中の人である。武帝(南朝 梁の初代皇帝)は仏寺を立派に装飾するとき、その多くを僧繇に命じて絵を描かせていた。
(僧繇は)金陵の安楽寺の四匹の白龍には、瞳を描かなかった。(僧繇は)いつも言う。
「瞳を描いたら(四匹の白龍は)すぐに飛び去ってしまうだろう。」と。
人々はあり得ない話だと思い、なんとしてもこれに(眼を)描くことを頼んだ。(僧繇が、頼まれて龍に眼を描くと、)たちまち稲妻が壁を破り、二匹の龍は雲に乗って、躍り上がって天に上っていった。
眼を描かなかったもう二匹の龍は、現在も(絵の中に)残っている。
西暦847〜854年頃成立。晩唐の張彦遠が著した画論。