こぬ人を まつほの浦の 夕なぎに
やくやもしほの 身もこがれつゝ
こ | ひと | ||
来 | ぬ | 人 | を |
動 | 助動 | 名 | 格助 |
カ変 (未然形) |
打消 (連体形) |
うら | |||
まつほ | の | 浦 | の |
【掛詞】 | 格助 | 名 | 格助 |
地名「松帆」 +動詞「待つ」 |
ゆふなぎ | |
夕凪 | に |
名 | 格助 |
や | もしほ | ||
焼く | や | 藻塩 | の |
動 | 間投助 | 名 | 格助 |
カ四 (連体形) |
感動 |
み | こ | ||
身 | も | 焦がれ | つつ |
名 | 係助 | 動 | 接助 |
ラ下二 (連用形) |
継続 |
(約束をしておきながら)やって来ない男を待って、
松帆の浦の
夕凪の海辺で
焼く藻塩ではないが、
身も心も恋い焦がれつづけることだよ。
出典『新勅撰集』恋3・849
通い婚が一般的だった当時は、「待つ」のは女性であり、この歌は女性の立場から詠まれた歌だ。
「身も焦がれつつ、来ぬ人を(待つ)」という主題の間に、「松帆の浦の夕凪に焼くや藻塩」という浜辺の夕暮れの情景が挿入されている。
松帆の浦の情景は、「待つ」ことの寂寥感や「藻塩を焼く」→焦がす・つまり焦燥感の混ざった複雑な心境を表現する道具として用いられている。
万葉集の以下の長歌を本歌取りしたもの。こちらは男性目線の歌だ。
名寸隅の 船瀬ゆ見ゆる
淡路島 松帆の浦に
朝なぎに 玉藻刈りつつ
夕なぎに 藻塩焼きつつ
海人娘女 ありとは聞けど
見に行かむ よしのなければ
ますらをの 心はなしに
たわや女の 思ひたわみて
た廻り 我れはぞ恋ふる 舟楫をなみ『万葉集』 雑・940【現代語訳】
名寸隅の船泊まりから見える
淡路島の松帆の浦では
朝凪に玉藻を刈っては
夕凪に藻塩を焼いている
海人の乙女がいるとは聞くが、
その娘たちを見に行く方法がないので
男らしい心もなく
か弱い女のように心が折れて
うろうろしながら恋い想うばかりだ、舟舵もないので。
この本歌に対する、女性からの返歌としても捉えられる。
さて、百人一首の撰者・定家が、自らの歌からこの1首を選び入れたということには、並々ならぬ意味がある。
晩年の定家が思い描く和歌の理想像・秀歌意識を読み取る一級資料とも言えるだろう。
権中納言定家(1162 - 1241)
藤原定家。 藤原俊成の二男。
俊成から御子左家を受け継ぎ、中心人物として活躍した。
美への執念が強く、巧緻・唯美主義的な歌を特徴とする。
強情で気性の荒い性格だったようで、源雅行との乱闘騒ぎを起こして除籍されたというエピソードもある。この性格のせいか、政治的には出世することがなかった。
『新古今集』『新勅撰集』の撰者。和歌の世界では、死後は神のように崇められる存在となった。 『千載集』以下の勅撰集に465首が入集。