二階の窓から

百人一首 095 おほけなく


おほけなく 浮世の民に おほふ哉
わがたつ杣に すみぞめの袖

前大僧正慈円さきのだいそうじやうじゑん

品詞分解

 
おほけなく
形ク
(連用形)
身の程知らずだ。不相応だ。
う   たみ
憂き
形ク 格助 格助
(連体形)
かな
おほふ
終助
ハ四
(連体形)
詠嘆
た   そま
立つ
格助 格助
主格 タ四
(連体形)
材木をとる山。
そで
すみぞめ
名【掛詞】 格助
「墨染」
+「住み初め」
(※体言止め)

現代語訳

身の程もわきまえずに
(法師として)世の人々に
覆い掛けることだなあ。
木々に囲まれた山(=比叡山)に
住みついた私の墨染めの袖を。

作品の解説

出典千載集せんざいしゅう』雑中・1137

作者・慈円が比叡山に住み始めたのは20代後半からのこと。作中の「住み初め」という言葉から推測すると、その頃詠まれたと思われる。つまり1180年頃ということになる。
その頃は、養和の飢饉(1181年)や源平合戦(1185年 壇ノ浦の戦い)など、世の中が乱れた時代だった。
そんな世の中を、若い慈円が「未熟な私ながらも、仏教の力でお救いしよう」という気持ちをこめて詠んだ歌だろう。

ちなみに「袖で世の中を覆う」という表現は以下の歌にもみられる。この歌を本歌取りした、という説もある。
ちょっと意味合いが違うので、実際の所は表現の参考にした程度だろう。

大空に おほふばかりの 袖もがな
春咲く花を 風にまかせじ

『後撰集』 64 詠み人知らず

【現代語訳】
大空を覆うぐらい大きな袖がほしい。
春に咲く花(=桜)を風に任せて散らせたくない。

作者

前大僧正慈円さきの だいそうじょう じえん(1155 - 1225)

藤原忠通の子。
1192年に天台座主てんだいざす(比叡山延暦寺の住職)となった。政変によりその職を追われたが、計4回にわたって天台座主に就任した。

九条良経(後京極摂政)や藤原定家等とともに、御子左家みこひだりけ歌人としても活躍。
私家集として『拾玉集しゅうぎょくしゅう』がある。
『千載集』以下の勅撰集には267首入集。

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島津 忠夫 (翻訳)
文庫: 317ページ
出版社: 角川書店; 新版 (1999/11)
言語: 日本語
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