世中は つねにもがもな なぎさ漕ぐ
あまのをぶねの 綱手かなしも
よ | なか | ||
世 | の | 中 | は |
名 | 格助 | 名 | 係助 |
つね | |||
常に | もが | も | な |
形動 | 終助 | 終助 | 終助 |
(連用形) | 願望 | 詠嘆 | 感動 |
なぎさ | こ |
渚 | 漕ぐ |
名 | 動 |
ガ四 (連体形) |
あま | をぶね | ||
海士 | の | 小舟 | の |
名 | 格助 | 名 | 格助 |
つなで | ||
綱手 | かなし | も |
名 | 形シク | 終助 |
(終止形) | 詠嘆 |
世の中は
常に(不変で)あってほしいなあ。
渚を漕いでゆく
漁夫の小船の
綱手を引いてゆく様子がしみじみと感じられるよ。
出典『新勅撰集』羈旅・525
全体を見ると「何のことやら?」という歌だが、まずは作者・征夷大将軍の源実朝の人生を追ってみよう。
源実朝は、鎌倉幕府を開いた頼朝の次男だ。兄の頼家が追放された際に、12歳で征夷大将軍となったのだが、28歳のときに、頼家の子に暗殺されてしまった。
権力闘争の中で常に死の予感と隣り合わせだった実朝は、永久不変の世の中への願望が強くあっただろう。
その悲劇的な運命に思いを馳せて、百人一首の撰者・藤原定家はこの歌を選び入れたのかもしれない。
さて、この歌は2つの歌を本歌取りした(下敷きにした)ものだ。
川の上の ゆつ岩群に 草生さず
常にもがもな 常処女にて『万葉集』22【現代語訳】
川のほとりの神聖な岩には草も生えていない。
常に不変であってほしいなあ。永遠の乙女として。
みちのくは いづくはあれど 塩竃の
浦漕ぐ舟の 綱手かなしも『古今集』陸奥歌・1088【現代語訳】
陸奥はどこも良いところがあるけれど、(その中でも)塩釜の
浦を漕ぐ舟に綱をかける光景がしみじみと素晴らしいよ。
どちらの本歌にも悲嘆の意味合いは含まれておらず、その場所や光景の素晴らしさへの感動が詠み上げられている。 それゆえに、『新勅撰集』では羈旅の歌の中に配列されている。
しかし、作者・実朝の人生を顧みると、「無常の世の中を生きていかなければいけない悲嘆」が見え隠れする。
鎌倉右大臣(1192 - 1219)
源実朝。源頼朝の次男で、第三代鎌倉将軍。
28歳のときに、甥の公暁に暗殺された。
京の文化に憧れ、和歌・蹴鞠を好んだ。後生、正岡子規によって万葉調の歌人として称えられた。
『新勅撰集』以下の勅撰和歌集に93首入集。