二階の窓から

百人一首 068 心にも


心にも あらで此世に ながらへば
こひしかるべき よはの月かな

三条院さんでうのゐん

品詞分解

こころ
助動 係助
断定
(連用形)
あら
接助 代名 格助 格助
ラ変
(未然形)
打消
 
ながらへ
接助
ハ下二
(未然形)
順接
こひ    
恋しかる べき
形シク 助動
(連体形) 推量
(連体形)
よは つき
夜半 かな
格助 終助
詠嘆

現代語訳

本心ではなく
この世に
生きながらえるならば、
恋しく思うであろう
夜半の月だなあ。

作品の解説

出典後拾遺集ごしゅういしゅう』雑1・860

詞書には

例ならずおはしまして位など去らむとおぼしめしける頃、月の明かりけるをご覧じて

<現代語訳>

病気になって、天皇を退位しようとお思いになっていた頃、月が明るかったのをご覧になって

とある。

三条天皇は1011年に36歳で即位したが、内裏が火災で焼失。1015年に再建したが、それもまた焼失した。
当時、政治的に力をつけていた藤原道長から退位を迫られ、さらに眼病(緑内障か)にもかかり、散々な状況のときに詠まれた。
目を悪くしている中で、月がどのぐらい見えたのかは定かでないが、月を眺めることで現実逃避をしていたようだ。

三条天皇は歌人としてもあまり有名ではなく、この歌は最初はそれほど注目されてはいなかった。
道長の圧力で退位したという歴史的背景もあり、その悲しみ・厭世観が現れたこの歌が百人一首に選ばれたのだろう。

作者

三条院さんでうのゐん(976 - 1017)

冷泉れいぜい天皇の第二皇子。 第67代天皇。
986年、11歳の時に立太子。 長い皇太子時代を経て、1011年に36歳で即位した。

眼病・藤原道長からの圧力のため、1016年に当時4歳の東宮敦成親王(一条天皇)に譲位した。
1017年4月に出家。同年5月に42歳で崩御。法名は金剛浄こんごうじょう

勅撰集には『後拾遺集』以下8首入集。 歌集はない。

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島津 忠夫 (翻訳)
文庫: 317ページ
出版社: 角川書店; 新版 (1999/11)
言語: 日本語
商品パッケージの寸法: 15 x 10.6 x 1.4 cm
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