恨みわび ほさぬ袖だに ある物を
恋にくちなむ 名こそをしけれ
うら | |
恨み | わび |
動 | 補動 |
マ四 (連用形) |
〜しあぐねる。 バ上二 (連用形) |
ほ | そで | ||
干さ | ぬ | 袖 | だに |
動 | 助動 | 名 | 副助 |
サ四 (未然形) |
打消 (連体形) |
〜さえ。 |
もの | |
ある | 物を |
動 | 接助 |
ラ変 (連体形) |
逆接 |
こひ | く | |||
恋 | に | 朽ち | な | む |
名 | 格助 | 動 | 助動 | 助動 |
タ上二 (連用形) |
完了 (未然形) |
推量 (連体形) |
な | を | |
名 | こそ | 惜しけれ |
名 | 係助 | 形シク |
強意 | 「こそ」の結び(已然形) |
(あなたがつれない態度なのを)恨む気力もなくなり、
乾くひまも無い袖でさえ
(惜しく)あるというのに、
恋に朽ちてしまうであろう
(私の)浮き名が惜しいことこの上ないよ。
出典『後拾遺集』恋4・815
永承6年(西暦1051年)5月5日 内裏根合せで詠まれた歌。
根合せとは、端午の節句に菖蒲の根の長短を比べあう遊戯のこと。和歌を詠み添えて勝負を競うことも行われた。(菖蒲と勝負の駄洒落か。)
この歌は「恋に破れて私の名が朽ちてしまう」ことを嘆いていることは間違い無いのだが、
「ほさぬ袖だにあるものを」の解釈が難しい。解釈としては以下の3つがある。
@ 涙で乾かぬ袖さえ朽ちないというのに、私の名が朽ちてしまう。
「朽ちない袖」⇔「朽ちる名」の対比。
A 涙で乾かぬ袖さえ朽ちてしまいそうだというのに、その上私の名まで朽ちてしまう。
「朽ちる袖」⇔「朽ちる名」の、朽ちやすさの対比。
B 朽ちる袖も惜しいが、朽ちる我が名はなおのこと惜しい。
「朽ちる袖」⇔「朽ちる名」の、惜しさの対比。
藤原定家が選んだ『八代抄』では、「涙で袖が朽ちてしまう」ことを嘆いた歌の中にこの歌が入っており、おそらく定家はAかBの説をとっていたと思われる。
ちなみに上の現代語訳では、B説を採用して現代語訳した。
相模(995? - 1061?)
実父は不詳。源頼光の養子。
1020年に相模守 大江公資と結婚し、相模と呼ばれるようになった。
その後夫の任地相模へ随行したが、1025年に離婚。
歌人としての腕前は相当のもので、様々な歌人に対して指導を行っていたようだ。和泉式部などとの交流もあった。
『後拾遺集』のみでも40首が入集しており、和泉式部に次いで多い。勅撰集全体では109首入集。