風をいたみ 岩うつ波の をのれのみ
くだけてものを おもふ比かな
かぜ | |||
風 | を | いた | み |
名 | 格助 | 形 | 接尾 |
原因の主語 | 「甚し」の語幹 | 原因 |
いは | う | なみ | |
岩 | 打つ | 波 | の |
名 | 動 | 名 | 格助 |
タ四 (連体形) |
主格 |
をのれ | のみ |
名 | 副助 |
【己】 | 限定 |
もの | |||
くだけ | て | 物 | を |
動 | 接助 | 名 | 格助 |
カ下二 (連用形) |
おも | ころ | |
思ふ | 比 | かな |
動 | 名 | 終助 |
ハ四 (連体形) |
詠嘆 (終止形) |
風がひどいので
岩を打つ波が
波の方だけ
砕けて(岩は平気なのをみて)、
(私は心を砕いているのに、あの女は平気でいることに)
思い悩んでいる今日この頃だなあ。
「A(名詞)をB(形容詞の語幹)み」→「AがBなので」
出典『詞花集』恋上・211
波が岩に打ち付けて砕け散る様子を、自分の想いが女にぶつかって砕け散ることの比喩として用いて、片思いを嘆く歌。
藤原公任は『三十六人撰』にこの歌を選び上げていることから、高く評価していたようだ。
こういったことから勅撰集の『詞花集』に入選し、後世までひろく愛踊されるようになった。
源重之(生年未詳-1000?)
清和天皇の皇子 貞元親王の孫。
976年の相模権守を皮切りに、筑前守など地方官を歴任。その後995年以降は藤原実方の陸奥守赴任に随行し、1000年頃陸奥で死没したようだ。
『拾遺集』以降の勅撰集に67首入集。三十六歌仙のひとり。