由良のとを 渡る舟人 かぢをたへ
行衛もしらぬ 恋のみちかな
ゆら | |||
由良 | の | と | を |
名 | 格助 | 名 | 格助 |
(紀州・淡路島間の 由良瀬戸) |
【門】 (水の)出入口。海峡。 |
わた | ふなびと |
渡る | 舟人 |
動 | 名 |
ラ四 (連体形) |
た | ||
かぢ | を | 絶え |
名 | 格助 | 動 |
【楫・舵】 | ヤ下二 (連用形) |
ゆくへ | し | ||
行衛 | も | 知ら | ぬ |
名 | 係助 | 動 | 助動 |
主格 | ラ四 (未然形) |
打消 (連体形) |
こひ | みち | ||
恋 | の | 道 | かな |
名 | 格助 | 名 | 終助 |
感動 |
(流れが速い)由良の瀬戸を
渡る舟人が
櫂を無くして
行方も知らないように、
私も同じように行方が分からない恋路であるよ。
出典『新古今集』恋1・1071
舟人の様子を詠った上三句から、趣深い情景が思い浮かぶ。
櫂を失った舟人から、思っている人を失ってしまった自分の恋へと結びつけている。
ちなみに「由良」の場所について、現代語訳では紀伊半島と淡路島の間の由良瀬戸(友ヶ島水道)としたが、
契沖(江戸時代)など、丹後(京都府の北部)の由良とする説が出てきた。 これは作者の好忠が丹後掾を勤めていたためである。
作者がどこを詠んでいたのかはともかくとして、百人一首が編まれた当時は、紀伊の由良には波の荒い湊のイメージが持たれていた。新古今集で紀伊の由良を詠った歌を一首引用しよう。
きのくにや 由良の湊に 拾ふてふ
たまさかにだに 逢ひ見てしかな<現代語訳>
紀の国の 由良の湊で 拾うという
真珠の玉ではないが、たまにでもいいので 逢いたいなあ。
舟人という言葉も相まって、当時の受け手は皆「由良→波の荒い湊がある紀伊の由良 だな…」と考えていたことだろう。
曾禰好忠(生没年未詳 -1003?)
歌人としての才能は高かったが、性格が片意地で偏狭だったようで、社会的には不遇だった。
円融上皇の御幸のとき、呼ばれもしないのに強引に参上して追い返されてしまった話(『今昔物語集』に掲載)などからも、その変わった性格が窺えよう。
万葉集の古語を用いつつ斬新な歌を詠むなどしていたことで、平安時代後期の革新歌人からの再評価を受けた。
勅撰集に89首入集。