逢事の たえてしなくは なかなかに
人をも身をも うらみざらまし
あ | こと | |
逢ふ | 事 | の |
動 | 名 | 格助 |
ハ四 (連体形) |
た | ||||
絶え | て | し | なく | は |
動 | 接助 | 助 | 形ク | 係助 |
ヤ下二 (連用形) |
強意 | (連用形) | 仮定 |
なかなかに |
形動ナリ |
(連用形) |
ひと | み | ||||
人 | を | も | 身 | を | も |
名 | 格助 | 係助 | 名 | 格助 | 係助 |
【他人】 | 【我が身】 |
うら | ||
恨み | ざら | まし |
動 | 助動 | 助動 |
マ上二 (未然形) |
打消 (未然形) |
反実仮想 (終止形) |
逢うということが
全く無くなってしまったならば、
いっそのことかえって
人のことも、自分の身も
恨むことはないのになあ。
「〜ば 〜まし」の形で使われることが多い。
事実ではそうではないことを仮定して、逆説的に表現する。つまり言いたいことは逆。
この歌では
「(事実はそうではないが、)出逢いが無ければ、人も自分も恨むことはないのになあ」
→「(事実は、)出逢いがあるので、人も自分も恨むことがある」
ということ。
世の中に 絶えて桜の 無かりせば
春の心は のどけからまし<現代語訳>
世の中から桜が絶えて無くなってしまえば
春の心はのどかなのになあ。
→「(事実は、)世の中には桜があるので、春の心は落ち着かない」
出典『拾遺集』恋1・678
逢ってからかえって増す恋心を、反実仮想を用いて表現している。
『天徳内裏歌合』恋4番目の勝負で詠まれた歌。
対するは藤原元真の
君恋ふと かつは消えつつ ふるものを
かくても生ける 身とや見るらむ<現代語訳>
あなたが恋しくて 消えそうに思って 過ごしているのに
こんな私を 生きている身だと思うのか。
これに対して判者は、朝忠の歌の方を「詞清げなり」として勝利とした。
中納言朝忠(910-966)
藤原氏。 三条右大臣定方の五男。
笙(和楽器のひとつ)の名人であったという。
勅撰集に合計21首が入集している。三十六歌仙のひとり。