二階の窓から

百人一首 044 逢ふ事の


逢事の たえてしなくは なかなかに
人をも身をも うらみざらまし

中納言朝忠ちゅうなごんあさただ

品詞分解

あ   こと
逢ふ
格助
ハ四
(連体形)
た  
絶え なく
接助 形ク 係助
ヤ下二
(連用形)
強意 (連用形) 仮定
 
なかなかに
形動ナリ
(連用形)
ひと
格助 係助 格助 係助
【他人】 【我が身】
うら  
恨み ざら まし
助動 助動
マ上二
(未然形)
打消
(未然形)
反実仮想
(終止形)

現代語訳

逢うということが
全く無くなってしまったならば、
いっそのことかえって
人のことも、自分の身も
恨むことはないのになあ。

ポイント

反実仮想の助動詞「まし」

「〜ば 〜まし」の形で使われることが多い。
事実ではそうではないことを仮定して、逆説的に表現する。つまり言いたいことは逆。

この歌では
「(事実はそうではないが、)出逢いが無ければ、人も自分も恨むことはないのになあ」
→「(事実は、)出逢いがあるので、人も自分も恨むことがある
ということ。

【他の用例】

世の中に 絶えて桜の 無かりせば
春の心は のどけからまし

<現代語訳>

世の中から桜が絶えて無くなってしまえば
春の心はのどかなのになあ。
→「(事実は、)世の中には桜があるので、春の心は落ち着かない

作品の解説

出典『拾遺集』恋1・678

逢ってからかえって増す恋心を、反実仮想を用いて表現している。

『天徳内裏歌合』恋4番目の勝負で詠まれた歌。
対するは藤原元真の

君恋ふと かつは消えつつ ふるものを
かくても生ける 身とや見るらむ

<現代語訳>

あなたが恋しくて 消えそうに思って 過ごしているのに
こんな私を 生きている身だと思うのか。

これに対して判者は、朝忠の歌の方を「詞清げなり」として勝利とした。

作者

中納言朝忠ちゅうなごんあさただ(910-966)

藤原氏。 三条右大臣定方の五男。
しょう(和楽器のひとつ)の名人であったという。
勅撰集に合計21首が入集している。三十六歌仙のひとり。

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島津 忠夫 (翻訳)
文庫: 317ページ
出版社: 角川書店; 新版 (1999/11)
言語: 日本語
商品パッケージの寸法: 15 x 10.6 x 1.4 cm
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